『アントニオ猪木をさがして』を観た
プロレスのこともアントニオ猪木のことも何も知らないのに、私は泣いた。
「生きざま」で張り手をされた感覚がある。泣いた。
彼は多くの観客に、ファンに、それこそあなたを全く知らない私にも、自分の生きざまを、その逞しい背中を、見せ続けて亡くなっていったのだろう。
なんとなく、もうこの人は「偉人」になったんだ、と思った。
他人に自分の姿をさらけ出すことに抵抗のある私には、「自分を見せる、魅せる」道を歩む人たちがまっすぐで眩しすぎるし、ある種の憧れも抱くし、なんだか自分が恥ずかしくなるし、ちょっとヘコむ。偉人と自分を比較すな。
「やはり人間というのは、希望がなければ生きていけないと思いますので」
みたいなことを言っているアントニオ猪木の映像が流れたところで、しばらく「希望………」と脳内で逡巡してしまって、行き場のなくなった感情の高まりが涙になって目から出た。
アントニオ猪木が言っていた。
「元気ですか!」と。
またなんか涙が出ていった。
ここしばらく聞かない言葉だったかもな〜。元気ですか。大きな声で「うん!」と返せる自身はない。疲れてるしな〜、肯定はちょっと嘘になると思った。それが残念だった。あの掛け声に、大きくうなずきたい、と思ったら泣けてきた。
私がドキュメンタリーを見て泣くときは、大抵自分の抑え込んでる願いが跳ね返ってきたせいで泣いているので、たぶん今の私の願いは「元気に生きたい」なのだ。笑って、熱く生きたいのだ。そういうのを、他人の姿を見ないと気付けないってのがな〜〜〜。面白くて厄介、でも必要なことだろうな〜〜〜。
映画を見終わって、イオンの中の化粧品コーナーでリップやらハイライトやらを選んでテスター使ってる時に見た鏡の中の私の目は真っ赤だった。恥ず。