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自惚れろ!

みなさんは自分が好きですか?私はとても大好き。もし生まれ変わるならまた私として生まれたい。ごめん今の嘘、顔はかっこよく中身はそのままでお願いします。友達にするなら自分のような人となりたいし、彼女も自分のような女の人と付き合いたい。私はこの世で一番私を理解し、愛していると言えるだろう。まあつまりとんでもないほど自惚れているのです。ここだけの話なのだが自惚というのは無料でかつメリットしかない素晴らしい代物でございます。特に秀でた才能や特技がない人であればある程自惚というのはするべきである。
 まず自惚れることで自信に近いような力を得ることができる。私は顔が悪いためモテない。しかし私は他の人よりも面白く、個性に満ちていると自惚れている。だから萎縮することなく胸を張ることができる場面が多々ある。この前合コンのようなところに行った。男3女3のオーソドックスな合コンで私以外の二人の男は今風の風貌で顔も整っていた。対する私は素の顔が老けているのにさらにふと黒縁のメガネをすることによって30代後半の高円寺で個人の古着屋を経営しているおじさんのようだった。ルックスだけで見たら私はハズレもいいところ、まあ最初から数合わせだったのだろう。普通であれば周りに萎縮して黙り込み、何でこいつ呼んだんだ状態になることは必然であった。しかし私には自惚がある。“おもしろい”自分に自惚れることでその日私はその合コンで中心的に立ち回ることができた。しかし彼女やお持ち帰りはできるはずがなく俺以外の他二人はお持ち帰りしていた。結局顔か。くたばれ顔面至上主義!!まあそれはさておき私はありもしない自信のような自惚により面白い場を盛り上げる人となることができた。
 自惚の素晴らしい点はもう一個ある。自惚は別に特別な才能などは必要ではなくどんな人でも自分をよく理解できていれば簡単に自惚れることができるのである。これが自信と一番異なる点でもある。自信というのは何か確固たる、揺らぐことのないものであって初めて成立するものであって、それが中途半端であると簡単に崩れてしまう。
もし競争の激しい環境に置いて自信を持てるものがある場合は悲惨である。野球で例えてみよう。地元で一番パワーがある野球少年がいたとする。その地元ではパワーにおいて敵う子はおらず、まさにお山の大将である。その子はそのパワーを買われ野球が強い中学チームに入団することとなる。そこでその少年よりパワーがある子がたくさんいたとすれば少年はすぐに自信を失うだろう。地元で負けず知らずの少年は自分よりもパワーを持った子がたくさんいることを知り、挫折してしまう。そしてその少年を挫折させた子たちは高校へと進みさらにパワーのある子たちと出会い挫折する。そしてそのさらにパワーのある子たちも(以下略)。そしてこのループはプロの世界においても平気で起こりうる。
先日のWBCの練習試合において言わずと知れた大スター大谷翔平が2打席連続のホームランを打った。これを目にした山川穂高は「野球つまんね」とコメントした。野球好きはもちろん山川穂高を知っていると思うが知らない人のために説明すると去年のパリーグホームラン王である。つまりその年のパリーグホームラン王である。彼もまた何百人、何千人と野球少年を挫折させてきた人間であるがそんな彼でさえ挫折し、自信を失ってしまうのだ。まあこれは極端な例だが自信は自分の上位互換の存在を知ってしまうことで意図も容易く散ってしまうのです。
 それに対して自惚はそう簡単には崩れない。よほどメンタルが弱っていたりしない限り無敵なのです。皆様もいい自惚ライフを!

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