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田中太隆・自己紹介(過去〜現在)

はじめまして!

合同会社Knock
代表社員
田中太隆です!

経営者の仕事はたくさんの人に会うことと言っても過言ではありません。
その中でNoteとかやってないんですかという要望が増えてきたので、自己紹介の意味を込めて1記事に自分のことを、今さらながらまとめようと思いました。

極力簡潔にまとめましたので私のことを少しでも知りたいぞという方がいらっしゃればこちらを読んで頂ければと思います。

1、生い立ち


私、田中太隆は、
神奈川県の湘南エリアで生まれました。

普通の中流家庭で3人兄弟の長男として育ちました。

小中高と地元の公立学校を卒業。
高校は鎌倉高校と言うスラムダンクの陵南高校のモデルにもなっているところに通っていたのは少し自慢です。

小学校から高校までは野球部に在籍して野球にあけくれてました。
きっかけは幼馴染が誘ってくれた少年野球チームからスタートしていくのですが、野球部を通して仲間との達成経験や悔しい経験を共有する事の面白さや継続していく根性は身につけてきたなと思います。



大学は明治学院大学経済学部経済学科に入学。

大学では授業をろくに受けずに学園祭実行委員、応援団、オールラウンドサークルなど様々な課外活動を経験。
人との繋がりの重要さや何をやるかよりも誰とやるかが大事だなと思うような価値観はここで育まれていったと思います。


2、人生のターニングポイント

就活がリーマンショックの翌年ということもあり、将来の不安を煽ってくるニュースが飛び交っていました。
そんな情勢もあり就活では
「どこでも通用する自力をつけること」
「やるからにはやりがいを感じて仕事をする」
ということを軸に会社を探していました。
第一志望には受かりませんでしたが、軸としていたことを達成出来る総合不動産会社の営業職として就職する事が出来ました。


仕事を1年目から頑張っていたお陰で当時50年の歴史ある会社で最速で契約をあげることが出来ました。
それもあってか先輩達には可愛がってもらい週2で飲みにいく中で先輩たちのリアルを知ります。

当初月9ドラマに憧れていて努力さえすればいい家に住めて、素敵な彼女が舞い込んできて仕事もやりがいある仕事に抜擢されて、と苦難はあるが乗り越えた先に期待もあるような未来が自分にはあると信じていました。

しかしどこの会社も同じかとは思いますが今の会社の10年先20年先の先輩をみたら将来の自分がわかると言うと思いますが、現実は、トップの営業マンの方は仕事は尊敬出来るけど、私の10倍の売り上げを会社でたたき出していても給料は1.5倍ほどでした。
結婚して子供がいる家庭の方はほとんどがお小遣い制、家を購入してても郊外で私よりも通勤時間が長く朝会社に来たら満員電車に揺られてくたくた。

責任ある仕事についていくと自分のプライベートもなくなってきて、先輩からは今のうち遊んでおけよの一言をもらってしまいました。

つまり、自分だけ切り取ったら今が一番良くて自分に使えるお金も、時間も頑張ってたとしても、縮小していく未来しかなく、いろんなことをいかに妥協していくかが大人なのかなと思っていました。

そして、「今の会社のままでいいのかな?」と将来に対して漠然と不安が募る様になっていったのです。

転職サイトに登録をしてみましたがサイトからはたくさん求人票が届きますが、軸を決めての就職をした自分はそれを失って選択肢は増えていく一方で何を選んだらいいか迷ってしまう事態に陥り、色々考えては答えを導き出せず、結局毎日の目の前の仕事に忙殺され後回しにしてを繰り返してあっという間に社会人3年目になっていくのでした。

3、立ち上げの経緯

社会人2年目くらいから当時の私は仕事頑張ってもどうせこの先良くならないならと今のうちだけだと思いプライベートを充実させようと注力していたのです。

プライベートに注力していたため社外のつながりも広まっていき、会社の先輩に相談しづらいような事も話せる仲の人が増えていきました。

そして、数多い出会いの中から経営者の方とも何人かお会いする機会があり、そもそもこんな働き方があるのかと視野が広がっていったのです。

そしてそんな中、ある経営者の方から「今仕事もプライベートも自分なりに一生懸命頑張っていると思うけど、その先どんな理想に向かって頑張っているの?」と問いかけてもらいました。

目の前のことをただ我武者羅に頑張っていた私からしたらそんな問いかけをされても答えられなかったのです。

その経営者の方から「仕事は手段でしかなくて目的が大事、もしかしたら仕事を頑張ることが目的になってしまっていて手段と目的が逆になっているかもね」と伝えて頂きそれが私にとって眼から鱗だったのです。

言われてみれば今の会社の中で頑張って、どういう未来が待っているか、転職もあくまで手段探しで、どの仕事についたら良くなっていくかばかり考えていて、そもそも自分がどうなりたいのかを置いてけぼりにして働いていたのです。

自分のもやもやしている理由がまさにここにあったなと思い、そこから将来の理想を考えてきました。

理想をどうやって考えていくかはまた別の話で取り上げます。

そこで自分が描いたのが働く場所や、働く人、働く内容を会社に決められるのではなく自分で決められる状態になること、収入の上限も自分の努力次第で決められるフィールドでチャレンジしたいと思い、そんなことが実現できる手段が経営しかなくて立ち上げていこうと26歳の時に決心したのでした。

ただ、決心したもののまず何から始めて良いのか、そもそも会社を辞めるや、借金するなどのリスクは恐怖がまさって取れないな、そんなにすばら良いアイディアも思い浮かぶはずもなくスタートを切れないでいた時に、経営者の方からリスクが少ない立ち上げ方を教えて頂きそれを実践してきたのです。


教えて頂いたことは、経営者を目指すものとして健全にリスクは取っていくが会社を辞めずに会社以外の時間と、借金はせずに会社からの収入を全て自分の立ち上げの費やすという事です。

結論今ある時間とお金の資源の使い道を変えるだけでしたのですぐに取り組むことができたのです。

そして、通常のベンチャーのようにアイディアを考えて、資金調達をして、集客、採用をするのではなくこの逆をやっていくと教えて頂き、まずはたくさんの人に会って仲間作りと応援してくれる人や、見込み客を作り、お世話になっている経営者の事業のお手伝いをして、業務委託費用などで資金を調達してから実際に独立する順番を辿りました。

これは僕の能力ではなく本当に良い出会いがあって、
ご縁に恵まれたくさんの方々のサポートのおかげで独立することが出来ました。

4、今の事業をいくつかご紹介

さて、私の今の事業をいくつかご紹介します。

◇営業支援

私の過去の経験が不動産、IT人材、通信系のtoBの営業をしていました。
そこではその業界でも新規開拓〜カスタマーサクセスまで1人で全部行っていて、その経験からtoB向けの営業支援をしています。
案件によりマネジメントからクロージング、アポ獲得まで支援しております。

◇キャリア支援

ITの人材が当時SESの営業をしており、その経験を活かしてSE向けのフリーランスの案件紹介や、営業支援事業を通じた営業のフリーランス案件の支援をしております。
また、それだけでなくいろんな人の人生相談に乗ってきた経験から正社員のエージェントも行っています。
その人の今後のキャリアに寄り添って、業務ではなく働き方の支援を目指しています。

◇イベント事業
元々イベント会社に入りたかったため、イベント事業も行っています。
今は自社の主催で社会人や学生の縦横斜めのつながりを創造して、名刺交換会のような単発の出会いではなく、人間関係が土台に仕事や何かのきっかけが生まれるHUBのような場作りをコンセプトにTokyo Meet Up HUBというイベントを毎月開催しております。
また、その経験を通してお店のインバウンド向けの体験会も企画をしていて某TVにも紹介されるイベントを作成しております。

5、今後のビジョン

私の会社のミッション、ビジョンが「世の中に自分の将来に可能性を感じる人を増やして、キャリア支援を通して自己実現する人材を多く輩出する」ことを掲げています。

私の生き様を通してもっと将来を描きたい、もっと明確にしたい、自分の人生捨てたもんじゃない、もっと希望があると感じられるような影響を与えていき、キャリア支援事業を通して、その人の描いた目標が叶う道(正社員、フリーランス、独立支援)を提案して伴走していこうと思っています。

今は自分の経営者としての実力をもっと磨き、独立支援の道をつくること、また、1日限定の自己実現の場として夏フェスを開いてみんなと達成の感動を味わうことを人生のテーマにこれからも突き進んでいきます。

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