看護のお仕事
これ、読めますか?
私が准看護学校に通っていた頃、脳出血のため寝たきりだった母が書いた文字です。私の看護師としての原点です。
私はやる気のない大学生活を卒業後、母の病気がきっかけで准看護学校に進学しました。それまでの経緯や、母の発病当初については、おいおい書いていこうと思いますが。。
当時はまだまだ訪問看護が珍しい時代。九死に一生を得た母が、その病院で初めて?の在宅療養に移行しました。脳出血の後遺症で四肢麻痺、気管切開のため気管カニューレを挿入し、もちろん寝たきり。自分で体位も変えられません。今のように介護保険もなくヘルパーさんなんていない時代です。自宅では、母のために介護ベッドを購入し、その部屋には母が好きなテレビ、吸痰用の吸引器などを置いてました。そうして母が帰ってきました。
まだ准看護学校の看護学生だった私は、退院したての母とおしゃべりできないかと毎日、試行錯誤していました。笛を吹く練習をすれば・・文字盤を使えば・・まだ何かを伝えようとする意欲のあった母に対して、いろんなことを試していました。しかし、おしゃべりの好きな母にとっては、いちいち首を振ってYes or Noを伝えるよりも「字を書くこと」が手っ取り早かったようで、よく「書くもの」と口を動かし要求されました。
母の好きなお昼のワイドショーが流れるテレビの前で、字を書く仕草で「書くもの」と訴えてきました。ペンを手渡し、そして書いた字が これ でした。
私はまず
「どっか痛い?」と聞きました。
母は首を横に振ります。
「痒い?」→違う 「暑い?」→これも違う
「お腹すいた?」→違う ・・・・何⁉ いったい
その後も、何度も紙に書きますが、どれもこれも、ひらがななのかカタカナなのかもわからない。。そのうち形が変わってくる。どうも、カタカナからひらがな・・というように変えているようでした。
すると、とうとう、なんだか漢字のような文字になっていき・・
「ひょっとして漢字、書いてる⁉」と聞くと、ニヤリ・・と母。
「漢字なんて読めへんし、ひらがなにして〜」というのですが、画数が多い・・
かれこれ、約1時間。ナンノコッチャお手上げの状態で「わからんわ〜」と言ったその時でした。
テレビでその日に起こった誘拐事件を報道していて
『ところで〇〇さん!身代金を請求されてるようですが・・・』
「んっ⁉」
「あっ」
「ひょっとして・・・」
「身代金⁉ 身代金って書いた⁉ 身代金がいくらかってこと⁉」と聞くと
さらにニヤリとした母。
「そんなん書いたら、わからんやん〜」と言う私をみて、肩を揺らし、顔を真赤にして、声こそ出ないものの、母は大笑い!その後、身代金がいくらかってことを伝えたかどうかは覚えていませんが、母のあの真っ赤な笑顔が忘れられません。
一つ思い出したことは、母が脳出血で倒れたのは私の誕生日の数日前で、数日意識がありませんでした。もちろん、私を始め家族みんな、私の誕生日なんて忘れています。ところが、意識が戻って一番に母が紙に書いたことは私の誕生日の心配。しきりに「誕生日」「誕生日」と書いていたことを思い出しました。
私は、苦痛を訴えることの出来ない母が「苦痛」を言うもんだと決めつけていたんです。その思い込みが、なおのこと、母の訴えをかき消してしまっていたんです。
患者さんもそうですよね。
体のことを伝えるばかりではない。
きっと「普通」のことをおしゃべりしたいんだと思います。その「ことば」を聴くのが、看護のお仕事。
そんなことを気付かされた出来事でした。
どうして今また振り返っているかというと、50歳を超えてから専門看護師過程の大学院に進学したものの、心が折れているからです。いつも、こういうタイミングで母が知らしめてくるのです。
母は「この頃を思い出しなさい。自信を持ちなさい。」と言っているんですね、きっと。
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