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75 角倉と十倉の京都丹波の話

京都丹波で角倉といえば角倉了以

保津川や木屋町の高瀬川を開拓

朱印船貿易にまで携わった。

代々医者の家系だったみたいだが、かなり
了以はヤンチャだったみたいで、
もう一つの土倉業(金融、質屋)
を継がせたらしい。

莫大な資金を投じた河川工事は、通航料などですぐに元を取ったとか🤑

その頃から、荷物も馬から筏で運ぶようになったという。馬界から見たら、角倉様々
とんでもない大きな転換期になったであろう。

ゆくゆくは競馬が待ってるのだが、、

十倉とは
園部にいた大金持ちの十倉長者
十倉長者の伝説には、長者が亡くなる時(『京都 丹波・丹後の伝説』では「晩年贅沢をしたので、時の政府からおとがめをうけ追放された」とある)、残した金銀財宝を二本松峠にある鍋ヶ谷の”朝日さすオシャンシャンの木の下”に埋めた、という話がある


この辺りかな?🙌

徳川埋蔵金が流行った事あったけど、京都丹波は
十倉長者埋蔵金やな

朝日さすオシャンシャンの木の下

なんていうイカしたヒントがたまらない

二本松峠の鍋ケ谷?Google mapには載ってない

十倉は倉を10個も持っているくらい金持ち
角倉は倉を角ずみまで持ってるくらい金持ち
要は金持ち🤑が共通点?!

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