新しいサークルを立ち上げるnote

 こんにちは。生茶です。普段は、群馬県の大学で経済学の勉強をしており、大学ではTT(ティーティー)とも呼ばれています。たまに都内の謎のバーをウロチョロしたり、カレーを同期にふるまったりして面白がられたり白けられたりしています。よろしくお願いします。

周囲に流され、なあなあに生き始めてから19年。地方都市にいつの間にか存在し始めてから半年が経ちました。たかが大学生ごときのサークルを新設したくらいでnoteなんて書かないんでしょうが、半年間の精算も兼ねて文章を記したいと思います。


入学して以来、いろんな人に出会い、様々なバックヤード、考え方を知ることができました。概ね善い方ばかりで、皆さんに出会えなければ僕はこの位置に立っているとは思えない、なんて歯が浮くような綺麗ごとを心から思ったりします。7年間男子だけの閉鎖社会にいた社会不適合な僕を受け入れてくれる人がいて、大変ありがたく感じております。世間への曖昧な不安が少しでも払拭されたような気がします。

その一方で、不合理な社会という、今まで抱いていた不安がやはり目の前で露わになり、絶望することもあります。人間と意思疎通ができない、会話が噛み合わない。そういった僕自身の社会適性に依拠するミクロな問題も噴出するのですが、社会そのものに対するやるせなさを感じることもありました。

ある日、部活関連のイベントで夜に一発芸をさせられることになり、レッドカーペットに興味ない僕は終わりを迎えてしまうのですが、そこで発生した地獄は、ネタのなさのあまり下ネタに走る人間が続出。大半が聞くに堪えずで、挙句の果てには局部の呼称を叫ぶだけの者も出始めると来ました。そのあとも、酒をガバガバ飲んで女に言い寄る人間も出てくるんですが、まあ有象無象の目の前で汚言を臆することなく発せる、酒が無いと女を口説けない、矜持がない、そんな人材が民間で人気だなんて、いい趣味してるよな、そりゃあ日本の企業は1年間で8割倒産しますわ、なんて思ってしまいます。

この前も一つ、曖昧なサークルに見切りつけてやめましたが、この手のサークルは交流会だのサークルパーカーだのに何千円もかけなければならない訳です。これも部族の掟なんやろけど、結局やるのは酒を飲むだけ、卒業生への忖度のための飲み会。こんなん同じ額で焼き肉食えるし、安めのコース料理をパートナーと食いにも行けるし、なんなら十何分の一の会費でうちでカレー交流会できるし、機会費用でかすぎるわ、合理的に考えて無理や、となってしまいます。

こんな行きたくもない行事に参加し、やりたくもないことをやらされ、それによって苦痛への団結という名の酸化被膜が形成され、内輪と仲間の証が作られる。これからもこうやって苦痛に耐えて生きんきゃならんのか。そりゃあ自分の心を殺すしかない、日本のサラリーマンは精神病に陥るしかない訳です。


極めつけに、たとえこれほどまでやりたくないことをやっても、未来が安定する保証なんてない、という事実が我々の前にそびえ立ちます。大学受験、資格の勉強をゴリゴリやって、大企業の内定を勝ち取った。もう安泰だ、妻も子も食わせていける、と思っていたらある日リストラ。食う当てをなくす、なんて可能性だってある訳です。でもそんなこと考えてもきりがありません。未来のことなどわかりません。わからないことを理解して生きるしかないのです。それがわかっていない人間が、地銀の重役で中小企業に資金を貸し渋り、異次元金融緩和を妨害したりする訳です。

とはいえ、未来が曖昧である、という事実への不安からは逃れるのは困難です。それそうですよね。予測不可能な事態なんて起こってほしくないものです。そういう不安に意識を侵食された大人が、子供たちにレールを敷いた結果、レールに「しか」乗れない人間が次々と爆誕しました。未来のために、未来のために、と言われて習い事だの塾だの私立中高受験だのを強制され、完成したのは何だったのでしょうか。確かに多芸かもしれません。多芸であっても自分の意思で道を切り開くことができない、器用貧乏な人間です。何かをしようにも、何かをしようといった願望が「わからない」のです。私の親は、これからも将来のためになることをしろ、などと言い、他大学編入や会計士の受験を強引に勧めてきます。将来のため、将来のために、と言い続け、ロジックで自分を押し殺して行動し続けた結果、自分の中で滞留するエネルギーを発散する手口を見つけらなくなってしまう。賃金を稼ぐ度に自分のためでない、未来のため、生活のため、と言い貯金、気づけばエネルギーを放出することもできぬ老躯となっている。

そんななかでも、自己の内部に滞留するエネルギーを何かに注ぐことこそが、人間たる条件である、と私は信じております。ある人はDJに、ある人は演劇に、ある人は歌に。それを専門にして飯を食うとかになると違う話になりますが、生身の人間が労働に還元され、社会を駆動させる互換可能な部品として扱われる現代。社会から強引にはめ込まれたフレームから逃れ、魂を突き動かし、突き動かされる。そういった行動をすることが、真に人となるための条件となり得る、と確信しております。我々は「車輪の下」のハンス少年の辿った道から抜けださねばならないのです。

ただし、何かをやろうにも学歴コンプレックスという足枷がかけられている人間も一定数います。本学にも、横国に落ちた、MARCHに落ちた、北大に落ちた、稀に早慶医学部に落ちたとかいうありえない出自の人もおります。自信を喪失し、浪人も出来ず、周りの同期を見下し、偏差値が高い大学生を見ると傷心する。部活動の場なんて、学歴で測れる世界でなかろうに。学外交流の場で「こんな(低い学歴の)我々があなたがた(高学歴の皆さん)と一緒に活動だなんて、申し訳ない」なんて卑屈な言葉が出てきてしまう訳です。

この足枷を崩すため、首都圏一強の状態を崩したい、高崎経済をぶっ壊す。学生の支持を得、ゲリラ的に行動を行っていき、世界征服を目指す。チェ・ゲバラはゲリラ戦の成功要因として、「地域住民の支持」を挙げています。草の根の人間が負い目を解消し、自尊心を取り戻していかなければ、魂を突き動かすことはできません。


人間の尊厳を取り戻したとしても、不確定、不安定な未来を自分の意思で切り開く、そこまで踏み切れる人間はそう多くできません。できないにしても、ひとまず生存を行わねばならない訳です。人間が生存をするためには、教養が必要と考えております。福澤諭吉は存命中、「実学」を「読み書きそろばんのような、日常生活をするのに必要最低限のもの」と定義しました。今日ではその中に「論理に基づいて考える能力」も入ると僕は信じています。ネットを開けてみれば、滅茶苦茶な受信者が地獄の形相で発信者に機銃掃射(粗雑な物言いをしてしまったせいで発信者側の責任もある男子校生の例もありますが)。発信者側も、妙なファンを引き連れて、明らかに危険な論理なのに誰もその危うさに気づかない、といったこともあります。こういうバカにならないためには、ESの空欄を埋めるためのお勉強を、ただひたすらするのではない。実学を学び、教養を高めていくことこそが、今を生きるために必要な武器を得る術であります。我々は、いざというときに曖昧な未来へ武器をかざし、生存の道を確保しつつ生きねばなりません。


はい。ということで、ディベートをやる団体を新設します。知人にビラも作成してもらいましたので、校舎の貼れるところに貼っていきます。

ビラ

「部」にするか「サークル」にするかは決めかねていますが、正直メンバー次第のところがあるので、すぐ決めるつもりはありません。今まで大それたことを言ってきましたが、ガッチガチのガチ団体にするつもりも当面ありません。初期段階から門戸を狭くしても頭数が揃っていなければ何もできないですし、

本学の方の向けに雑に説明しますと、E.S.S.のdebate sectionの日本語版、地域政策学部の方は初ゼミでやったやつと思ってくだされば、話は早いです。上の学年の方によっては、哲論部と混同される方もいるかもしれませんが、それとは違ったベクトルの活動をします。初心者歓迎です。というか、僕自身も初心者なので。

ただ内輪でディベートをやってたまに大会出て完結、というのでも良いです。しかし、それだけに留めなくてもいいのかなあ、と思ったりもします。人が集まり、軌道が乗ればの話ですが、県内他大にディベートの活動を紹介したり、県内大会を開いたり。理想としては、県内の枠を超えて色々もやっていければ面白いなあ、と曖昧に考えております。当面は非公式での活動で、非公式である故の自由さの下でできる活動はあると思いますので、メンバーの様子を見つつ、やっていく所存でございます。そんな感じの宣伝でございました。


これは、人がこの世界を生きるための矛でもあり、盾でもあります。何も持っていないあなた、何も欲していないあなた、ディベートに触れてみませんか。そして、物好きな方。その武器を掲げ、一緒に世界征服をしませんか。


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