一般大学生活、半分過ぎの憂鬱
私は関西の大学3回生、東日本では3年生とも言う。
今日は火曜日、対面は2限から5限まで、今は3限の授業中、昼食を食べたからか少し眠い。授業中は、特別厳しい老害先生でなければ、人の迷惑にならない分には何をしていても大概良い。だから、こいつを描いている。何の目的もないブログを。
4年ある大学生活の半分が終わった。
先輩達が口を揃えて言っていたことをつい思い出す。
『あっという間だよ大学生活なんて。』
そんな先輩達は今社会人になって、どこの街でどんな仕事をしているんだろうか。社会人生活は大学生活と何が違うんだろうか。
講義に出ても、バイトに出ても、飲み会に行っても、単位を取っても、本当のことなんて誰も教えてくれてないような気がする。
『人の群れに逃げ込み紛れてても、人生の意味を誰も教えてくれないだろう。』
私の好きだった歌詞をふと思い出す。
このまま、何もならないままこなすだけの毎日をこれからも過ごすのだろうか。美味しいご飯が美味しい、楽しい時間が楽しい、嬉しいことが嬉しい。
それもいい。居心地の良さに安住するのは楽で快適で楽しいから。
でも、そんな時、知恵袋か何かで見た文章を思い出す。
居心地の良さと人生のつまらなさは両立します。合理性を突き詰めれば、人生はただ食って寝るだけの人生に辿り着きます。それだけが生きる為に必要なことだから。
だからあなたが捨てるべきは理性と合理的思考です。そして代わりに狂気を手に入れるのです。合理的に考えたら到底受け入れられないことをし続けるのです。
人生は何をしたっていいし、どこに行ったっていい、何を食べたって、誰といても良い、親も上司も同僚もみんな他人です。
狂気を持って、今までの合理的で正しいだけの人生を破壊するのです。
みたいな文章を。
まあ一般大学生の僕の分際で、そんなことは出来るのかわからないけどさ、
そんな言葉ばかりを思い出す僕を僕は恨んでいるよ。出来もしないのに言葉だけは達者で、頭だけ良くなっちゃった感じ。バカなままでなんていれなかった。
ああバカみたい。
パンナコッタでもバカな顔して食ってインスタに載せたい。
うそ。幸せなことをアピールするのは嫌い。
本当に幸せなら、そんな時間をインスタなんかに代弁させたくないもんね。
誰かに見せたくないし。僕やあなたや私だけのものにしたいし。
今日も眠気眼で起きて、行きたくないななんてぼやきながら大学に向かって、腹が減って学食は嫌だから行きつけの定食屋に行って、そのせいで3限に遅れて、昼食で血糖値が上がったからか眠くなってよだれ垂らしてうたた寝して、4限5限は優等生のフリして、授業終わり帰り道のスーパーで2割引の鶏むね肉と好きな茄子を買って、家に帰って、疲れた身体を寝転ばせてiphoneで令和の虎を見て、ステハゲを思い出して、ススルTVを見たら腹が減ったから、買った食材を冷蔵庫にも入れず、近くのあんまり美味しくないラーメン屋に行って、何故かあんまり好きじゃない醤油ラーメンを啜って750円無駄にして、満たされないお腹にローソンの110円チョコクッキーを放ち、家に帰って、最近冷えてきたからぬるめの風呂に入って、またYoutubeでも見たら、0時を回っていたけど腹が減ったから、散歩がてらまたローソンに行き、110円の少し甘めの歌舞伎揚を買って食べ歩いて、街灯が少ない場所で空を見上げたら、綺麗な形したオリオン座がこっちを見ていて、僕も見つめ返してちょっとだけ感動して泣きそうになって、家に1時前に着いて、またyoutubeを見て我に返って、少し死にたくなったけど、気づいたらもう寝てて、開けたままのカーテンの隙間から刺す光が眩しくて目が覚め、予定より早く来た朝にすいませんとお辞儀をして二度寝した。
田村シュンス