
壊れた土蔵が音楽空間になるまで①
ものすごく後回しにしていたことが、予期せぬ大きな転機に会い、その後の小さなきっかけを通じて生まれ変わっていく様子を残しておきたく、土蔵関連の記録から書いてみようと思います。
2024年1月1日、能登半島地震
約1年前の1月1日、この日を境に様々な変化が起き始めた。発災当日、私達家族は妻の実家がある金沢に帰省していた為、震源ど真ん中での揺れを体感したわけではなかったが、能登から約100km離れた金沢でも体験したことのない揺れを感じた。2023年頃から時折大きめの地震があった為、金沢にいたその瞬間でも能登で起きた地震であるということは瞬時に推測に至り、揺れた瞬間、ある種の絶望感も同時に感じたことを覚えている。
この日を境に、移住後ぼちぼちと暮らしを作っていこうかなーと思っていた緩めの気持ちは完全に覆され、この先どのような生活を選択していくべきかという葛藤へと変わっていった。
住居自体は一部損壊という判定で、同じ奥能登エリアの珠洲や輪島と比較すると早めの段階でライフラインが回復してきたエリアであったが以前の生活とは気持ち的にも環境的にも大きな変化のなかで暮らしを再建していくことに。
このnoteを書いている2025年1月時点においてもまだまだ解決していくべき事項が盛り沢山ではあるが、今自分にできること/自分がやるべきことを一つずつ進めて行くことが自分にとっても地域にとっても何らか未来に繋がっていくものだと信じて、焦らず着実にコマを進めていこう、というのが最近の所感である。
、、、というところで「着実にコマを進めるしかないよね」文脈での土蔵の話に入っていくことにします。
土蔵のビフォーアフター
まず、ビフォーアフターから。
before(2024年1月)
壁が落ちたり、ダメージもそこそこ。もともと土蔵の使い道決まってなかったし他にやることタンマリあるし、この空間の存在自体暫く忘れよう!を決意した絵


after(2024年12月)
上記から約1年後。なんかPA一式入れてDJも入れて、なんならミラーボール廻ってパーティーできちゃってるんですけどの絵
ここに至るまでの流れ、サポートしてもらった人、役立ったこと/身についたこと、思ったこと/引き続き考えていること、現在進行系のことなどを暫く綴っていきます。
つづく