おだやかな幸せについて−その4–
私は京都で出張写真館を営んでいる田村寫眞館オーナーの田村泰雅という。
店舗は持っておらず、お客さまが撮りたい場所まで行って撮影するというスタイルの写真館である。
事業理念として、「 おだやかな幸せ 」を届けるといったことを掲げている。
私がお届けしようとしている「 おだやかな幸せ 」について、カタチのないものだからしっかりとどういうものなのか考えていきたいと思う。
感覚ではなんとなく分かっているのだが、言葉にすると伝えるのが難しい。
おだやかな幸せを写真に写すには、それを言葉にするともっと鮮明に写るのだと信じている。
だからこうしてnoteに書くようにしている。
1.最近感じたおだやかな幸せ
2.私の好きな映画から感じるおだやかな幸せ
1.最近感じたおだやかな幸せ
以前のnoteで、私が身近なところで感じた「おだやかな幸せ」について挙げていったことがある。そうすることによって、「おだやかな幸せ」の感覚を改めて感じることができるはず。
つまりこれは、「おだやかな幸せ」を感じるためのストレッチ体操のような行為だ。今回も今週、私が感じたおだやかな幸せについて書いてみることにした。
7/13 雨の中、撮影の出先で祇園祭の提灯を見れたこと
7/14 雨続きだったが、久しぶりに夕焼けを見れたこと
7/15 百万遍さんの手づくり市で久しぶりに市の出店者さんと会って話をしたこと
7/16 久しぶりの外食で、定食のサラダがシャキッとしておいしかったこと(もちろんその他のご飯もおいしかった)
7/17 一人で銭湯に行く。偶然、お世話になっている方に出会って久しぶりに話をしたこと
7/18 お世話になっているパン屋さんとパントークできたこと
7/19 蝉の鳴き声で目覚めたこと
という感じだ。
これといって特別、大したことはやっていないけど、「久しぶり」に起こることについておだやかな幸せを感じやすいのかなと思った。
あとは、人と出会って喋ることでおだやかな幸せを感じやすいのだなと。
コロナウイルスの影響で、人と会う機会が減ったことでそうなっているというのもあるが、そもそも根本的なところで人間が好きなのだろう。
私は好きなものごと、人に出会うと「おだやかな幸せ」に出会うことができるみたいだ。
2.私の好きな映画から感じるおだやかな幸せ
好きなものごと、人という視点から、身近なところで好きな映画について感じる「おだやかな幸せ」について考えてみた。
私の好きな映画は、2006年公開の映画、「かもめ食堂」だ。
群ようこさんの原作がもととなった映画で、舞台はフィンランド。そこで小さな食堂を営む主人公が出てくるのだが、来る日も来る日もお客さまが入らない。けれど、主人公はせっせと働き、夕方になるとプールで泳いで食事をつくり、毎日きちんとお店を開く。
そのうちに仲間が増えて行って、看板メニューのおにぎりもできる。シナモンロールをつくって、その香りに誘われお客さまが少しずつ入ってくる…
映画全体のストーリーとして、主人公が自分のやりたいことをやっているからそこにおだやかな幸せを感じられるんだろうと思った。
主人公のセリフで、
「やりたくないことはやらないだけなんです」
というセリフがある。
一見わがままなようにも思えるセリフだけど、やりたくないことをずっと続けているとおだやかな幸せが感じにくくなるように思えた。
もちろんやりたくないことを続けなければいけない状況はあると思うし、やりたいことだけをやるっていうのは難しいかもしれない。
だけど、最終的に選択するのは自分自身。
今、ありがたいことに、私は自分が選択した道の上にいるのでおだやかに幸せな状態なんだろうとな思う。
こんなオーナーが撮りたい場所まで出張撮影にまいります。