おだやかな幸せについて−その6−
私は京都でフィルムで撮影できる出張写真館を営んでいる。
写真館は、実際の写真館( 建物 )はなく、お客さまが撮りたいと希望される場所まで行って撮影するというスタイルでやっている。
写真館では、「 おだやかな幸せ 」を届けるということを事業理念としていて、日々の家族写真の撮影や、パン屋巡りのツアーで意識をしながらそれをお届けしている。
「 おだやかな幸せ 」というカタチのないものをお届けするので、こうして文章で言葉にしてみたいと思う。
1.私の周りのおだやかな幸せ
2.おだやか幸せを感じる時
1.私の周りのおだやかな幸せ
今まで私が感じたおだやかな幸せについて書いてみたが、今回は私の周りのおだやかな幸せについて書いてみたいと思う。
先日、天気のいい朝に自転車をこいでいると、たまたま見送りのシーンに出くわした。
お父さんが登校する子どもの後ろ姿をずっと見ているところだった。
( 自分も前進していたので、)子どもが見えなくなるまで見送るところまでは見れなかったが、しばらくその場に立って、ランドセルを背負う子どもの後ろ姿を見守っていた。
その時は少し急いでいたので、一瞬、「 いい光景だなぁー 」と感じてそれで終わったけど、後々で思い返せば、そのシーンには「 おだやかな幸せ 」が詰まっていたような気がする。
お父さんは、心のどこかで「 おだやかな幸せ 」を感じていたかもしれないし、私自身もその光景に出くわしておだやかな幸せを感じた。
それは、子どものことを少し遠くで見守るお父さんの優しさなのかもしれない。
2.おだやかな幸せを感じる時
ここで注目したいのが、おだやかな幸せを感じるタイミングである。
個人差はあるかもしれないが、すぐに「 あっ、今おだやかな幸せを感じる状態だな 」と気づく人と、振り返ってそうだったかなと、後から気づく人がいると思う。
私はどちらかというと、後者だ。
そういえば、あの時のあの光景、あの感情が「 おだやかな幸せ 」だったのかなっていう風に。
すぐに気づくには、瞬発力が必要だと思うが、常に幸せを意識しているのは、なんか少ししんどい気がする。
個人差はあるかもしれないが、「 おだやかな幸せ 」というものは、字のごとく、おだやかに後から気づいたり、やってくるものなんだろう。