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民の文字に隠された意味

※この文章は2012年にFBに自分が投稿したものをベースに書き直しています


漢字は「表意文字」と言って現在のアイコンやピクトグラムに近い図形の一種だということは知っている方は多いと思う。例えば「旅」という漢字は数人が旗を持っている姿から来ているそうだ。

昔団体旅行で添乗員さんが旗持って誘導していただろう、
あのモチーフが古来中国の人は、旅という意味になったのかな。?


そんな意味で言えば民主主義に使われる漢字の

<民>という文字も興味深い。


<民>=大衆 多くの人たち。

日本では、国民・県民・市民・町民等などに使われる漢字。


この民という漢字、穏やかで優しげなイメージだが

意外にも語源を探っていくと

古代では、ヒトの目を突き刺している形だそうだ。

「民」の最後の2画が、針の形からきている。

瞳を針で突いて、視力を失わせた者を「民」と言い、神への奉仕者としたという。

古代の時代では、本人の意志でなく、神への奉仕者とするために、人を障害者にしたわけである。

このようにして視力を失った人の目は、眠っているように見えるため、
<眠>という字が生まれた。

民と眠りの関係って意外なとこにあるんだね。

ね!怖いよね。もちろん今の日本ではまったく別の使い方しているから、

そんな事ないんだけど…

でも、でも最近僕達のまわりで起こっている
いろんな出来事をじっと見ていると

あながちその話が今も生きているのでは?でという気もする。

「民」という漢字を市民や民衆や民主主義の例をあげるまでもなく、ポジティブな平和的な意味で使っているけど、

ちょっとイメージと違うんじゃない?と思う出来事が最近多いんじゃない?

いろんな原因あるんだろうけど、

一人のデザイナーの立場から思うと

この「民」という漢字の語源にかけられた意味合いの呪縛を解かない限り僕達の未来は暗いのでは?と思う

そういえばナチス党の広報担当だったゲッペルスという人物が
提言した「プロパガンダマシーン」という概念は
情報を極力制限することで暗闇を創ると、ほんの少しの情報でも目には輝く光に魅せることが出来ると言っていた。(怖い話だ)
これも民の語源に近いことだね。
古今東西権力を握った人たちはこうやって大衆をコントロールしていたのかもしれないね。

話を戻すよ。

漢字はグラフィック=(目で見える事象をシンボライズ)されたものだから知らずのうちに僕達の潜在意識の中に自らが『目を閉じさせられ情報を入ってこなくしたものになる』と自分に暗示をかけているのかもしれない。


欧米の民主主義と我が国の民主主義のニュアンスの違いは意外と、こんあところにあったりして。(彼らは漢字を使わない)

でね、民という字をすこし変えたらどうなるかを実験してみた。、TOP画像ように、目に突き刺していた針を途中で止めて刺さらないようにした。

たったそれだけ。
もしこのようになった文字を「市民」や『民衆」『民主主義』という時に使ったりロゴに使ったらどうなるのだろう?その文字を多くの人が認識したらひょっとして世界は変わっていくのだろうか。


文字の形を変える。それは漢字の永い永い歴史の中で許されることではないのかもしれない。

(すごく偉い人達に怒られそうだけど)

でも思うのだ。僕たちはついつい物事を形骸化し『枠』にはめようとムリをしてしまうことを。

気が付かないうちにそんなもんだねと通り過ぎてしまう。
世の中に違和感を感じない不感症になっていくんだ。

気が付かないうちに『民』にならねばと思い自ら目と耳を塞いでしまうことを良しとしてしまうことを止めるために。

新しい民の字を(もちろん僕の案でというわけではないよ)考えるムーブメントがおきたらいいのではないかな?僕はそれを超える術を多くの人は持っているはずではと思うのだ。

そろそろ「民」という概念を超える時期がきていると思う。

その時期は僕達が考えているよりもずっと近いはずだ。

その時、新しい漢字が生まれるのだろうか?

たった一文字の漢字が

僕達の世界のあり方を変えていく……

なんてね

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