舞台照明の手法
前回は、舞台照明の技術とは「実際の光」と「照明の数値的パラメータ」を自在に変換できる能力のことである、という内容でした。
前回の記事:
そして、その能力を習得するには、様々な光を自分の目で見て経験を積むしかない、ということを説明しました。
前回の最後に「砂糖水」の例えで説明したように、数値的データと感覚で得られる感じ(クオリア)との関係を習得するには、自分自身の身体を使うしかない、ということは間違いないことなのですが、じゃあ砂糖水の甘さの感じ(クオリア)を言葉で全く表現できないかというと、必ずしもそうではありませんよね。一般に広く知られているものを基準にしたデータ、たとえば「《コカコーラ》1本に含まれている砂糖がxxグラム」というようなデータの知識があれば、砂糖のグラム数(数値データ)と実際の甘さ(クオリア)の関係について、自分の身体(味覚)で実際に体験してみなくても、およそはわかりそうな感じがします。
同様に、照明の数値的パラメータと実際の光の関係についても、過去の多くの照明家によって様々に検証された、広く通用しそうな「法則のようなもの」が、いくつかは存在していて、それらの「法則のようなもの」を知識として知ることができれば、自分の視覚で実際に見てみなくても、照明のパラメータと実際の光の関係がおよそはわかりそうな感じにはなります。この過去の多くの照明家によって検証されてきた「法則のようなもの」こそが、一般に「照明の手法」として知られているものであり、教科書に載ったり、先生や先輩が教えたりするものに他なりません。たとえば「夜のシーンは青くする」とか「前フットで顔を見せるとホラー系」など、照明の世界でだいたい「普通」「常識」とされている定番のやり方ってありますよね。それらのことを指しています。
しかし、それら様々な「定番の照明の手法」(だと現在みなされているもの)は、実際はどれも、一つ残らず「最初は誰かが試してみてその効果を実感した」所から始まったものであるはずです。現在のような電気による舞台照明の歴史は、まだ百数十年程度です。ですから、現存するすべての照明の手法は、ここ百数十年以内に誕生したものであるということは間違いないのです。
おそらく、現在広く使われている定番の手法は、そのやり方をまず最初に誰かが試し、そして、のちにそれを真似して(あるいはたまたま)同じやり方をした人が同じような効果を感じ、またそれを別の人が真似したりして同じ効果を実感し、ということが何度も繰り返されることで、その「手法」が次第に照明家に知れ渡るようになったと思われます。そうやって、多くの照明家が知るところとなったやり方は、ある種の流行のようなものとして扱われるようになっていったに違いありません。さらに、本当に大多数の照明家に広まって、ほぼ全員の照明家に支持されるようになった手法が、ついに「定番」という地位を獲得し、それが、教科書に載ったり照明界の常識として扱われたりするようになった、と僕は考えています。
しかし、いかに「定番」であっても、言葉や文字で言い表されているだけでは、それは真の意味の「照明の手法」とは言えない、と僕は考えます。「照明の手法」とは、データとクオリアの関係法則のことであり、その内のクオリアは身体でしか感じられないものです。したがって、ある照明家にとっての真の意味の「照明の手法」は、その照明家個人の視覚(身体)抜きには原理的に定義できないことになります。ある照明家が習得している「照明の手法」は、その照明家の身体(で感じるクオリア)に結びついているはずです。
たとえば、あなたが舞台照明デザインの経験者であるなら、自分が知識として知っている「照明のやり方」の中に、自分個人の視覚的な経験と結びついて心からその効果を確信しているものが、いくつかはあるでしょう。それらこそが、そしてそれらだけが、あなたが習得している真の「照明の手法」と言えるものです。
自分自身の視覚(身体)の経験と結びつく確信を持てていない、単に知識として知っているだけのやり方は、自分の持っている手法とは言えません。それはあくまで他の誰かのやり方を言葉で知っているに過ぎません。
また逆に、自分の経験に結びついて習得したと確信している手法についても、それを何度も繰り返し使い続けていると、照明のパラメータと光の見え方(クオリア)との関係の理解が実はまだ不十分だったことに、あとから気づくということもあります。今現在は自分的には「習得した手法」だと思っていても、未来になって振り返った時に「ぜんぜん未熟だった」と感じることもあり得るということです。
そして、自分が十分過ぎるぐらい習得している「手法」を、さらに繰り返し繰り返し使い続けて、習得の度合いがますます高まっていくと、たまに、その手法が自分の身体の一部であるかのように感じられる、という現象を体験するようになります。たとえるなら、演奏家にとっての楽器のように、あるいは武術家にとっての武器のように、照明家にとって、照明機材が、自分の身体の延長のように感じられることが、時にあるのです。そこまで行くと、光で俳優に「触れたり」、光でダンサーを抱きしめたりするような感覚を感じることも(人によるのかも知れませんが)あります。その段階まで達すれば、照明デザイナーである自分自身も、確実にその舞台作品を構成する一人であるという確信を持つことができます。舞台照明デザインを自分の生き方に選ぶ人には、ぜひ、そのような体験まで味わっていただきたいと思います。
この話はこれで終わりです。
では、良き照明体験を。
このシリーズはいったんこれで完結です。
ありがとうございました。
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