フィジカルとリアルとヴァーチャル
こんにちは、たもんです。このところちょっとバタバタでヴァーチャル世界で過ごす量が減少気味になっています。
昨夜は昨夜で先日の飛行機内で見終わらなかったMatrixの最新作の残り部分を観たり、再開したクラフトピア(もちろん、操作するキャラクターはわ・た・し)で遊んだりと・・・まぁ、バタバタと言っても、遊びでバタバタだった昨日なんですけどね。
Matrixはヴァーチャル空間の話が2000年代の世界で、リアルは遥か未来の世界というのがテーマでした。最初はリアルだと思っていたのが実は全部作り物でって言う話ですね。最新作はさらにそれが多重構造になっていたと・・・(それ以上言うとネタバレになるからやめますが)
で、今日はアカデミー賞が発表になりましたが昨年の受賞作品もヴァーチャル世界がテーマになってたと思う。ちょっとしたブームではあるんでしょうね。
よく引き合いに出る「セカンドライフ」がなぜ失敗したのかと言う話。時代が早すぎたとか、世界の中でのコミュニケーションがうまくいかずにFacebookが出てきたからとか、似た類の話がたくさん検索で引っ掛かります。私自身は実際にやっていなかったので、二次情報に頼るしかないんですが、当時は結構なブームだったそうです。ちなみにとある記事には、今も続いているから失敗ではないと言うのもありました。
2年前ほど「メタバース」「メタバース」というふうに騒がれなくなってきたけど、廃れているわけではない(遊んでいる人の数は増えている)ので安定化しつつあるのかもね。
で、今日のテーマが「リアル」と「フィジカル」なんです。先日観たMatrixでは、人と人とが現実世界とヴァーチャル世界でシンクロしながらとコミュニケーションをとっています。コミュニケーション(通信)できているといことは、これは両方「リアル(現実)」に値すると思うんですよね。で、あの映画の世界の怖いところは「ヴァーチャル空間」で物理的な攻撃をたくさん受けると、「フィジカル」へも影響が及ぼされるというところなのです。(死んでしまうことも)ここで、「フィジカル」が登場します。そう、「フィジカル」=「身体的」になりますね。
人は「ヴァーチャル」な空間で生活はできますが、現在の技術では「フィジカル」をなくすことができないということを示している様に感じます。そもそも、人が生きている時に「意識=心」というものがあります。これはどこにあるのでしょうか?「脳?」「細胞?」これこそ「フィジカル」がないと存在しないんじゃないかな?
例えば「V睡」はHMDを被ったまま、ヴァーチャル世界にログインした状態で、フィジカルが睡眠(意識が眠る)をします。なので、主体はあくまでフィジカルです。フルトラッキングもフィジカルの動きを模写してヴァータやる世界へ投影する形ですね。そう考えると「VR」という世界では「フィジカル」の役割というのが極めて重要になってきます。
ヴァーチャル空間の面白いところは、「ログイン」のための様々なゲートがあるところですね。これが、VR経由でもいいし、スマホでもPCでもいいというのが現代です。(映画Matrixでは脳に直接繋げてましたが・・将来的にはそうなるのかも。)スマホやPCの場合は、目に見える範囲の一部と、音と、指、と「意識」。こちらはフィジカルが接する部分はかなり軽減されますね。
この、ゲートの種類はこれからどんどん増えていくんだと思います。また、VR機器も完全なヴァーチャルから現実と融合したMR<XRの方の注目も高まっている様に感じています。これらは、それぞれが目的が異なるので、「メタバース」でいうとそのヴァーチャルの中で完結した世界(文化やすでに現実にあるものの再現)が目的なのかな。XRはヴァーチャルに閉じるのではなくフィジカルな世界をより豊かにしていくという発想だと思います。
「メタバース」に限っていうともう一つ大切なことがあった。誰でも「創造主」になれるというのも大きいですね。これはこれで楽しいので、だから、ゲーム的と言われるのかもしれません。(ちょっと脱線)
全体的な流れを見ていくと、「ヴァーチャル」は空間というのは人々の「リアル」の一部であって、その「リアル」には「フィジカル」が必ず必要ってなりますね。
SFに出てくる、「私の情報を全てコンピューターにアップロードしてヴァーチャル世界で不老不死」とはまだまだ夢物語の様です。
なにはともあれ、フィジカルを大切にしましょうね〜〜😊
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?