『布団の中から蜂起せよ』サイン会備忘録

数年ぶりに、仕事以外で文章を書いた。Noteを使うのも初めてである。ただ、何かしら書き残しておきたいと思って、PCを開いた。勢いのままに書いているが、そのうち、自分が立ち上がれなくなった時、この文章の「勢い」が自分を救ってくれることを祈る。

 

 

1.ベンチから動けない

 半分ほど中身の残ったペットボトルを片手に持って、しばらく公園のベンチから動けなかった。
 サイン会の会場を見つけて、入り口を確認して、それでも中に入れずに、間に合わせに隣の自動販売機でH2O(久しぶりに見た)を買って、ベンチに腰掛けた。20分くらい座っていたかもしれない。

 怖いのである。人に会うのが。「見知った人」に会うのも、「見知らぬ人」に会うのも、僕自身にとっては同等にある種の恐れ/怖れ/畏れをもたらすものである。全き他なるものがうごめいているのが無性に怖い。
 それがいつから始まったのか、実際にはよくわからない。幼少期から暴力とは縁を切っても切れない家で育ったからなのか、それとも社会的なルール(「世の中“そういうもの”だから」といわれる類の)にうまくなじめずに、生きてきたからかもしれない。
 予期せぬ形でふいに生じる暴力の中を生きるのも、社会の中の“そういうもの”になじめない自分に冷ややかな視線が注がれる中で生きるのも、同様に他者への恐怖を引き起こすのに十分であろう。

 とにかく、自分にとって他者とは(それが全き他なるものであるがゆえに)ふいに到来するもの、何かをもたらすもの、自己を変容させてしまうものとして恐れの対象であった。
 それは今も変わらない。だからベンチから動けずにいた。もとより、仕事のない日は布団にくるまって、陽がとうに昇ってから起きるのが常である。それは、日頃生産性を求められる社会に生きる自分を、(表層的に見れば)全く何も生み出さない場に置くことによって守るためである。
 土日が休みの時は、ほとんど布団にくるまるか、部屋に閉じこもっている。三連休でも同じである。仮にそれが四連休でも、五連休でも。

小さく、こもる。

 外の、社会の、“そういうもの”の論理から己を引きはがし、ぼろアパートの一室で小さくこもる。それが自分にとっての身の守り方だった。
 今日だって本当は、家にこもって本でも読んでいるはずだった(最近は疲れて本も読めないが。『布団の中から蜂起せよ』を通読できたのは結構自分的にはスゴイ)。

 仕事の繁忙期が終わり、「これ以上はあやうい。あやうい。」という心のアラートに従って、祝日を含む1週間の休暇を取った。久しぶりの休みである。これだけまとまって休めるのはそうはない。さあ、こもろう。そう思っていた。
 だが『布団の中から蜂起せよ』のサイン会があると聞いた時、「あ、行きたい」と思った。同時に「あ、生きたい」とも少し思った。気が付けば、本を注文し(すでに別の書店でも買っていたのだが)、コンビニで支払いを済ませていた。
 こもろうとおもっていたのになぜ?体調だってよくないのに。自分でもよくわからなかった。

 とにかく、こうして「こもる」を中断し、秋の陽を浴びる自分にわけのわからぬ後ろめたさと心細さとを感じながら、心臓をバクバクさせながら、人々が待つ怖い場所に向かった
(陽の当たるうちに外を歩くことこそ怖い)。

そこまではよかった。問題は、店を前にしてベンチから動けずにいることである。
 いつの間にかベンチに座って30分が経とうとしていた。これでは風邪をひいてしまう。心身ぼろぼろの自分にとって、風邪をひくのもなかなか怖いものである(怖いものばかりだ)。ましてや、ここまできて「店にも入れませんでした」では、おそらく後で深く傷つき、悔むことだろう。それもまた怖い。
 しかたなくベンチから立ち上がって、店とは逆の方角に向かって少々歩き、勢いをつけてから店に入った(不気味なムーブというほかない)。

 店はこじんまりとしていた。サインを待つ人も、どうやら今は一時的にいないらしい。「サイン会」というものに参加するのは生まれて初めてだったので、よく知らなかったのだが、てっきり何人も何人も並んでいるのだと思った。遭遇する人の数はできるだけ抑えたい自分にとって、勝手ながらこれはうれしい誤算だった。

さて。
 

2.ためらいの中にこそ

 お店に入って本を受け取り、椅子に座る。高島先生は(以下、一人の研究者・ライター、そしてこの本の著者としての尊敬を込め“高島”と呼ぶ)普通に椅子に座っておられた。当然である。本の中身がいくら「扇動的」なものでも、机の上で逆立ちしたり腕立て伏せをしながら客を待つ人はいない。普通に座っている。
 数年前まで哲学を学びに大学院に行っていたからか、“世の中、かなり鋭利なキレのいい文章を書く人でも、あってみれば案外「穏やか」に見えるパターンが多い”と知っていたので、よくありがちな「イメージと違う」とか「もっと過激な人だと思った」という驚きはなかった。

――そう、大学院である。サインをもらってから、一番最初に口から出てきたのが「ゆにここエッセイ」(https://unicoco.co/468/)の話であった。

 周知のとおり、「ゆにここエッセイ」に高島は「鬱病大学院生、川で揚げパンを食う」等のエッセイを寄稿している。『布団の中から蜂起せよ』を買おう、と決断したのも、僕にとってはこの「鬱病大学院生、川で揚げパンを食う」がきっかけだった。つい数か月前に初めてこのエッセイを読んだとき、涙がぽろぽろ出てきたのを忘れない。
 高島は同エッセイで以下のように書いている。

何かが変わったわけでもない。まだ私は薬がないと生きていけないし、朝は起き上がれないし、ちょっと動いただけで何もかもに疲弊してしまう。
それでもとりあえず、私は未来を忘れる練習をしている。その姿勢が常にいいとは全く思わない。それでも、今を生き延びる選択ができるなら、ひとまずそれでいいと思っている。

 読んだとき、「これは誰のことだ?」と思ってしまった。これは僕のことではないのか。もちろんそうではない。高島の文章である。
 高島一人の、ただ一人きりしか生きられぬ高島自身の代替不可能な生だ。自己と他者の生を安直に重ねあわせること、それは常に危険である。弁えるべきだ。
 しかし上記のエッセイは、今、この社会で大学院生が抱える不安、そしてまた心身を患った人間の心境をぴたりと言い当てている。先述の通り暴力の絶えない家に生まれ、哲学の大学院に通い、先の見えなさにおびえて、「このままでは本当に壊れる、俺も死ぬ、いやむしろ早く楽になりたい」と思っていたつい数年前の自分の姿を、言葉によってびたり、とピン付けされたような気がした。
 いや、心身症でいまだに精神科に通う現在の自分にも、丸ごと当てはまっている。
 他者の生や苦しみに自己をまるごと重ねることは危うい。ただし、言葉を書く/読むことによって、他社の生の苦しみを幾ばくか「分有」することは常に可能であり、また救いである。高島の上記エッセイは、生の苦しみを幾分か分有するものとして、私自身には映った。

 ――というような思いがあって、
「ゆにここエッセイを読んで、すごく良くて・・」みたいな話をごにょごにょと高島に話しかけた。
 何しろサイン会の「作法」も知らないので、緊張しまくりである。ましてや他人が怖いのだから、ごにょごにょとしか話せない。目もあまり合わせられない。しかし、高島が真摯に聞いてくれた(だろう)ことはわかった。

 「作法」はわからないものの、「サイン会までには当該の本のすべてを読み込んでおくべきだ」というわけのわからぬ謎の義務感があった。前日夜からサイン会当日の朝4時半まで徹夜をして、一冊何とか読み終えた。何度も躓きながら、何度もうなずきながら読んだのだが、ここにきて言葉がうまく出てこない。
 とにかく、「鬱病大学院生、川で揚げパンを食う」的なもの(『布団の中から蜂起せよ』では第4章、第5章あたりがそれにあたるだろうか)がすごく良かった旨だけなんとか伝えた(はず)。アナーキズムやフェミニズムについて聞きたいこともたくさんあったのだが、頭から見事に飛んでいた。
 ゆにここエッセイの話をした後、何を話したかよく覚えていない。
ただ、自分の職場には「弱い者が弱いまま繋がっていく、立ち上がれないものが立ち上がれないままに抵抗をする」という姿勢に対する理解が皆無であること、「生存」をアジらなければいけない社会は地獄だということなどを話した気がする。
 高島はその都度、少しゆっくりと、確実に言葉を返してくれた(ようにお思う)。その「速度」が、自分には信頼に値するもののように映った。

 そう、速度である。
 大学院を出て、いわゆる「社会人」(唾棄すべき言葉である)になってから気が付いたのは、この社会のコミュニケーションは「速すぎる」ということであった。
 「テンポよく円滑に迅速に、中身のない空疎な言葉を投げあう」、「当たり障りのない言葉を唱える」、「よくわからなくとも<わかる>といっておく」「とにかく言葉に詰まらないように、間を開けないように話す」ということが「社会人」には特に「必要」なのだ、と徹底的に叩き込まれた。
※ただし、「相手の言葉に抵抗せずうなずく」「とにかく当たり障りのないセリフだけが認められる」という態度は「社会人」であるか否かにかかわらず、常に女性に対して強要されているものであることに注意しなくてはならない。逆に「社会人」になるまでそういったエートスを自覚しなかった自分のポジションを自覚する必要がある。

 だからこそ、自分の内側に一度潜ったうえで、言葉を選び出していくような高島の話し方は、私にはとても誠実に思われたのである。

 言葉を語りだすこと、現実を言語化すること、それはいつでも何らかの暴力性を帯びる。そう考えれば考えるほど、なにがしかを書く、刻印を刻み付ける行為に対するためらいや慄きは生まれるものである。
 高島の文章は、一貫してそのためらいに満ちている。自己の変容の可能性を受け入れつつ、また自己の文章が暴力性を帯びる可能性を感じつつ、それでもなお、ひとまず書くこと。ためらいながら慄然として書くこと(アラブ文学者の岡真理の著作にも同様の姿勢を感じる)。
 高島の文章は、ためらいながら肚がすわっている。サイン会の場でも、確かそんな話をした気がしている。
 「ためらいながら語る人にこそ、誠実さを感じる」、という風に、ごにょごにょと。

 とにかく、今の自分にとってサイン会とはいわば「小冒険」だったが、なんとか無事サインをいただけた。
 「サインをもらう」という行為の意味がいまだによくわかっていないが(私たちはそこで何をもらう/あたえるのだろう?)、とにかく、自分の衝動に突き動かされた一日が終わった。
 高島は上述の「鬱病大学院生、川で揚げパンを食う」の中で、「昼間に外に出ようとしている…とっくに枯れ果てていた井戸の底に、わずかな水が光ったような感触があった」と述べているが、
 「サイン会に行けた」ということこそ、自分にとっては井底の水のきらめきに値するもののようである。

 何かが始まるかもしれないような、そんな気持ちをもって、帰路に着く。足取りが少し軽い。道を踏みしめる力が少しだけ確かなものになる。そんな心持ちがする。
 けれどもきっとすぐ、社会の中でズタボロに傷ついて、立ち上がれなくなり、終電の車内で、今日のように椅子から立ち上がれない日がやってくるだろう。薬の副作用で頭がガンガン痛む中、布団から這い上がれずにうめき声をあげる日が来るだろう。
 それでもなお、一日を生き延びる、一日一日を生き延ばすことしかできない人にとって、本書は一つのお守りである。
 
 「まだ捨てたもんじゃないかも」と思いながら、もう少し生きてみたい。



 最後に、帰りの電車の中で「あ、そういえば」と思った点を書いておく。

3.その場では言えなかったこと

 『布団の中から蜂起せよ』を一気読みして、ぱっと思った点が二つあった。いずれ読み直した際にもっと多くのことに気が付くだろうが、とにかく覚書程度に書いておく。

①第3章の「ルッキズムを否定する」にみられる既存のゲームへの立ち向かい方:第3章では、ルッキズムを主題に、社会が作り出した既存のルールの「中で」うまく立ち回ることの価値を(一部)認めつつ、そうではない仕方での抵抗が模索されている。
 「われらは美醜のゲーム版を無限に作り出す以外の道を持てないのだろうか?」[1]と高島は述べる。
 こうした既存のゲームのルールそのものへの相対化の視点、既存のルールからの脱却への模索という態度は、高島自身がフランツ・ファノンを引用しているように、ポストコロニアリズムや民族差別等あらゆるマイノリティの問題に応用可能である(むろん、ルッキズムにはそれ特有の問題があることも確かであり、もろもろの問題はその差異に応じて語られるべきでもある)。
 実際、黒人差別への反対運動の中で、マルコムXは以下のように同胞へ呼び掛けている。

 しかしながら、われわれを抑圧している者に、基礎となるルールを作らせてはならない。彼らのゲームに近よるな、彼らのルールでゲームをするな。 これは新しいゲームであり、われわれは新しいゲームを創ったんだということを彼らに知らせるのだ。
 そしてこのルールは何かが動いていくことを意味している。何かが変わっていくことを。[2]

②家族について:高島は、いくつかの章で「家族」について言及している。

 高島は「私は家という空間を愛しているが、愛の数万倍憎悪を持っている」、「家族という営みに全く適合できなかった」[3]
「ドラマで見た/優しい父/優しい母/優しい子/みんなが仲良し/実情と合致しない…ここにいたくない」[4]と語る。
 一連の文章を読んだとき、既存の「家族」というものへの反意に共感を覚えるとともに、
「岡崎京子の『ハッピィ・ハウス』ぽいな」とも思った。
 正確には、『ハッピィ・ハウス』のあとがきによく似ているように思ったのである
(『ハッピィ・ハウス』自体は最終的に家父長制の再生産に終わっているのではないか?とも思う。いまだに肚に落ちる読み方がよくわかっていない)。

 ともかく、ここでは漫画本編より「あとがき」が気にかかる。岡崎京子は、1992年に刊行された自身の漫画『ハッピィ・ハウス』のあとがきで以下のように述べている。やや長いが、時々読み返しては勇気が湧いてくる文章でもあるので、そのまま引用する。

 ところで一体、家族や家庭って何なのでしょう?私は「家族というモノ(あるいはコト)」に対して、ぬくぬく・ふかふかしながらも、別のどこかでずっと居心地の悪いものを感じていました。まるで素肌に直接、ビニイルのレインコオトを着てしまった時のような。奇妙な肌ざわり。
 
 すべてのことが何事もなく終わった午後の十時半…家族のだんらんの時。そんな時に私は「ホントにコレでいいわけえ?」と頭のはじっこのどこかがイライラチクチク痛むのでした。
 …愛していながら愛することができない。愛したいけど愛せない。愛してるけど、でも。
 永遠に続く、アンビバレントな反復横とび。
 
 「家族」という言葉の強制する、強引な“ぬくぬくとあたたかいしあわせ”のイメエジ。
 そのイメエジが、サイズの合わない靴のように、私にはきゅうくつでした。死ぬまで踊り続けたバレリイナの赤い靴のようにこの『靴』は一生脱げないものなのでしょうか?
だとしたら魔法を使うしかありません。シンデレラのぼろ靴を、ぴかぴかのガラスの靴に代えたあの魔法を。
 
 …奇妙な家無き子(家はあっても家は無し)、おかどちがいな孤児(親はいても親は無し)として生きる事。それは今、誰もが余儀なくされている事かもしれません。
 でも魔法を手に入れるチャンスは充分あります。いくら負けが込んでいても。いつか。
 そして裸足で歩きだしましょう。サイズの合わない靴でヨタヨタ歩くより、裸足で歩くことを。熱砂の中を、裸足で進んでいった無謀なディートリッヒのように。[5]

 

 『ハッピィ・ハウス』について高島が知っているかは明らかではない(どこかですでに岡崎京子には言及しているのかもしれない)。
 だが、家父長制社会の「革命」を訴える高島と、「魔法」を信じる岡崎には(一部)重なる点もありそうである。
 むろん、実際には差異のほうが多いとも思うが、ともかくも「あとがき」に絞って考える場合、
「サイズの合わない靴でよたよた歩くより」、「負けが込んでいても」、裸足で歩きだそうと呼びかける岡崎の文章は、それから30年後に生み出された高島の「扇動」の声に、一部重なって見えるのである。




[1] 高島鈴『布団の中から蜂起せよ:アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院、2022年)、108頁。

[2] 酒井隆史『暴力の哲学』(河出書房新社、2016年)、9頁。酒井は周知のとおりグレーバーの翻訳者でもある。

[3] 高島鈴『布団の中から蜂起せよ:アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院、2022年)、148頁。

[4] 同、260頁。

[5] 岡崎京子『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社、2001年)、347頁。

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