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馬と俺 001

 『馬と俺』では、僕の好きな岩手競馬のことはもちろん岩手県の馬事文化についてわりと真面目に書き殴っていくものである。

 僕の、いや俺の、最大目標は岩手競馬における年末の恒例レース『桐花賞』を『県民的行事』にすること。中央競馬の有馬記念が国民的行事であるのであれば、岩手の有馬記念と称される『桐花賞』は『県民的行事』になり得るはずだ。全国初の『県民的行事』。可能性があるのは人馬共生の歴史を歩んできたこの岩手の地で行われる馬のイベントしかない。普段、競馬をしない人も年末の桐花賞だけは「やってみるか」と思えるようになればと本気で思うのだ。そのためにも早く影響力のある男になりてーわけである。

 岩手を深掘りする上で『馬』は避けては通れない。岩手の伝統的な家づくり『南部曲がり家』からもわかるようにこの地は古くから人馬共生の歴史を歩んできた。にも関わらず、『競馬』と聞くだけで単純にギャンブルとのみ捉え、毛嫌いを起こす人間が岩手県民だけでも非常に多いという驚きの事実がある。もし、馬がいなければ暮らすことすらできなかったかもしれない地だっはたのにである。

 岩手にはその昔、良馬を生産育成し、中央に献上することで恩恵を受けてきた。その良馬こそ『南部馬』または『南部駒』という。日本における競馬で見るようなサラブレッドの歴史はまだ100年程である。ただ、その100年余りの歴史の中でも岩手はとんでもないトピックスが数多あるのだがそれは追々。
 サラブレッドの輸入以前から日本に存在した馬を在来馬という。『岩手謎十話 史書の余白から 上巻』によれば、在来馬のルーツは四川系と蒙古系の二通りでどちらも農耕馬としての色彩が強いそうだ。しかし、南部馬だけは北方騎馬民族のいわゆる「戦う馬」の系列に入るというのだ。なぜか。そこには諸説あり、どれもロマンに溢れている。強く言えることは「南部駒には洋種の血が流れている。でなければこの馬格を説明できない」ということである。

 太古の昔に一体どこからこの地にこの血が来たのか。次回、一つ一つの説を紹介したいと思う。

 今週、春の水沢競馬がスタートする。奇しくも3月11日である。当時、被災した岩手競馬ファンも大勢いたことだろう。岩手競馬自体、全国の競馬ファンから多大な支援を頂いた。そして、今年11月3日にはビッグイベントJBCが盛岡の地で開催される。3.11と11.3。共に楽しみましょう。

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