活動記録 007 『金』
いくら人々が神様として崇め奉ろうとも、なかなかメディアで紹介されないものがある。特に、県庁所在地のような中心街から離れた場所にそれは存在する。
故に僕は生まれてこの方、金勢様とは無縁であった。何度か車窓から明らかに立派な男性器の形をした御神体が神社の入り口に鎮座している御姿を見たことはあったが、どう思えば良いのか正直わからなかった。男性器イコール面白いものという認識でしかない僕にとってはどうしてもニヤついてしまう存在であった。しかし、この男性器は周辺住民にとっては絶対的な存在、つまり神様なのだ。いたって真剣なのである。写真に収めてイェーイとはいかないのである。ただ、やはり大きな興味はあった。
そして、いつか金勢様のお祭りに行ってみたいと思っていたのだが、この度ついに参加させていただけることになったのだ。
皆、どのような心持ちでこの御神体と向き合っているのか。特に思春期を迎えた中高生。さらにその中でも女子たちである。
今回、4月16日に訪れたのは岩手県二戸市。二戸青果市場を会場とした『二戸駅前 金勢大明神とともに 桜を見る会2022』。
会場に到着し、まずはお手洗いをお借りした。イベント用の仮説トイレである。僕はそこで最初の違和感を覚える。一見、黒の男性と赤の女性の一般的な男女共用のマークかと思いきや、明らかに男性のマークがおかしい。
一体これはどういうことなのだろうか。僕は戸惑いながらも入室し、用を済ませた。もしかしたら、二戸の男性は皆ボンタン型の太いパンツを履いているのかもしれない。故にこのようなマークの方がこの地域では男性を表すマークとしてはわかりやすいのかもしれない。僕は何とかそう解釈したのだが、周りにボンタン型のパンツを履いている男性は一人もいなかった。そうなると答えは一つ。そう、ポコチン…、失礼、金勢様である。これは笑って良いものなのだろうか。戸惑いながらも僕は控室用のテントに入ると、スタッフさんが気を遣って軽食を持って来てくださった。
たまたまだろうか。いや、この「たまたま」はそっちの意味ではなく偶然という意味である。ソーセージは熱を通すと外皮が裂けてしまうことが多々ある。もしかしたら偶然このような形に裂けてしまったのかもしれない。
たまたまだろうか。いや、今回もそっちではなく偶然という意味だ。チョコをバナナにコーティングする際に偶然こういう形になってしまったのかもしれない。ただ、光の具合で見づらいが、先端から白い液体がトロッと溢れて来ている。練乳だそうだ。チョコバナナに練乳とはこれまた珍しい。
たまたまだろうか。いや、もうそっちの意味である。どう偶然が重なろうが、こんにゃくがこのような形にカットされるはずがない。もはや言い逃れはできないだろう。これは正真正銘ポコチンである。失礼。金勢様である。僕は複雑な思いでこれらの軽食をいただいた。一応、食べながら「いててて」とだけは言わせていただいた。
お祭りに毎年参加しているという地元の成人女性に話を伺うと、ほとんどの場合小学生までは金勢様が何の形を模したものかは知らないそうだ。中学に上がり「どうやら男のアレの形らしいよ」と知るのだとか。思春期真っ只中、それを知ってどう思うのかと伺うと「より楽しくなった」と言うではないか。
実行委員会と思われる男性に伺ったところ、数年前から金勢様の在り方を変えたのだとか。崇める気持ちは変わらないが、従来の重々しさをできるだけ取り除いたという。そこから先ほどのような形の商品を企画、開発し、とにかく楽しもうという方向にシフトチェンジしたのだ。伝統を重んじることはもちろん大事であり、継承されるべきことだ。しかし、時代の変化と共に変化していかなくてはならないのも事実である。それが如何に難しいことか。そういう意味では、この枋ノ木神社の金勢大明神は最高の形で継承されていると思う。何せ、絶対的に愛されている。
金勢様に馴染みのない他地区の人間が、特に家族連れ等で訪れる際はなかなかの高きハードルはあるだろう。しかし、神様は地元住民に愛されてナンボの存在である。古来からの伝統の継承、八百万の神との向き合い方、日本人としての学びがそこにはあった。
また行きたいと思わせられたし、パワーをいただいた気がする。心なしか、我が股間のイチモツもいつもより元気な気がする。二戸市の皆様、金勢様、ありがとうございました。