旅がしたくて本を読む
部屋じゅうに本があふれていたので、本棚を買った。
ばらばらの部品が届き、自分で組み立てるタイプ。完成品が届くのも楽だけど、自分で手を加える余白のあるほうが好きだ。完璧ではなくてもそこそこの出来にはなるし、なんだか愛着がわく。
一人で組み立てるのはなかなか技量が必要で、後ろの見えない部分の梁みたいな木材に一箇所ひびが入ってしまったが、ボンドで固定した。
その日4時間くらいかけて組み立てたら、全身が筋肉痛になった。
デスクの上やベッドの枕元や、最近は床の上も徐々に侵略していた本たちをまとめて入れたら、部屋もだいぶすっきり。一時期はデスクの片隅に50センチくらい本を積んでいたので、視界も良好である。
しかしすでに8割がた埋まっている。棚を買ったらまた好きなだけ本を買える!と思っていたけど甘かった。あとちょっと増えたらまた棚を買わなければいけない。が、そもそも棚を置くスペースがうちにはもうない。
近々また本を売りに行かなければ。
10年日記というのをつけている。
1日二行ずつ、10年間つけられる分厚い日記帳。朝書くとき必然的に前年の同じ日の記録が目に入ってくるが、おぼろげになっていた記憶が急によみがえってきたりするのがおもしろい。たった一年でけっこういろいろ忘れている。
一日分の欄も小さいし、この先10年ぶんの空欄が控えているとなると、もったいなくて書かなくてはいけない気になってくる。日記は基本的に続かないたちだが、なんだかんだこれは続いている。
去年の8月下旬の日記に、初めて有給を取ったことが書いてあった。noteに入社したのは昨年4月なので、入社して5ヶ月近く有給なしで働いていたらしい。
また入社した日からリモートワークだったので、生活に慣れるためにいろいろ試している。朝近所を散歩したり、ヨガをやったり。今は、というより韓国ドラマにはまってからは韓国語の単語アプリを20分やって、コーヒーを淹れて日記を書いて、盆栽の水やりとめだかの餌やりをするのが朝のルーティーンになっている。
しかしまあ引きこもり生活にもようやく飽きた。今年の春くらいまでとくに不自由も感じなかったのに、最近になって外に出たい欲がでてきた。飽きるタイミングがだいぶ遅い気もする。
単純に人に会ってないのもあるけど、ほぼ毎月のように行ってた旅行も気軽に計画できないのがしんどい。最近旅行とか海外の本ばかり読んでしまうのもそのせいか。
旅行だけでなくて、ただ外をうろつく、みたいなのも足りていない。前は新しい食べ物を食べにいったり、友だちと数軒はしごして、終電をなくして途中まで一緒に歩いて帰ったり、多くはないけど普通だったのになぁ。いまやそういう日常が元どおり戻ってくるという感じもあまりしない。感染がおさまっても、人間の自分の側にそういうモードがなくなってしまった、という気がする。
先週末、下北沢のBOOKSHOP TRAVELLERという本屋に行った。そこで買った「BOOK SHOP TRIPS」というZINEの扉にあった文章がよかった。
読書は頭の中で旅をする。先人たちの、いまを生きる作家たちの心象風景を訪れる旅。あるいはもっと具体的に、遠い土地のことを書いたもの、遠い国の食を描いたものもある。
旅はその先で一冊の本を読んだような豊かな記憶を僕たちにくれる。旅先の人、食、酒、自然やまちの風景。紐解くほどに深くその地を味わえる。
本と旅は似ている。からだの動く範囲はまったく違うけど、心と頭が受ける影響はかなり近い、と思う。だからコロナ以降、部屋の本が増えたのかもしれない。
今日は有給休暇だった。
1時間ぐらい歩いて、西荻窪のフヅクエに行った。土日より空いてた。
道中、ブルーインパルスがなんども頭上を行き交い、爆音が響くたびに自分含め通行人がみんな空を向いた。お店から出てきたおばさんが、「音が通りすぎてから外に出たって見れないわねえ」と言った。
猛スピードで飛んでいるのに、陣形がぜんぜん崩れないのがすごいと思った。曇ってたので飛行機雲は見えなかったけど。
noteの社員で運営する定期購読マガジンがあり、発起人の庭野さんにお願いして自分も入れてもらった。(「お友達3人に勧めればシルバー会員になれるよ!」と、ねずみ講みたいなことを言われた)
せっかくなので、最後に今日西荻窪の古本屋で買った戦利品を。
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