天覚山|西川材と呼ぶ杉やヒノキの良材を産出する山域
更新日:令和3年6月16日|登山口から山頂まで1時間位|体力★★☆☆☆・展望★★★☆☆・静けさ★★★★☆・技術★☆☆☆☆・危険度★☆☆☆☆・初心者向け|念のため熊鈴を装備することをお勧めします。西川材と呼ぶ杉やヒノキの良材を産出する山域のため、静かな山行が愉しめます。ノアザミやミスジチョウに出会える山旅となっております。
天覚山(446m){テンカクサン}
◆都道府県:埼玉県(奥武蔵)
◆登山日:2009年6月20日
◆同行者=石井さん
奥武蔵の山々は、八割がた登り尽くした感じだが、
未だ残っていたのが、西川材と呼ぶ杉やヒノキの良材を
産出する山域の天覚山と大高山だった。
その天覚山も一度登山口まで行ってみたが、
熊出没中の張り紙があり、
単独では危険と判断して次の機会に廻した山域だった。
この山域はスギやヒノキの植林帯で、
変化もなく黒々と暗い感じを持つ。
最近は安価な輸入材に押され国産材の需要は伸びず、
その上、山仕事に携わる人が高齢になり
後継者も少ない現状で過疎化が進み、
山は荒れ放題だろう。
特にスギやヒノキの開花時は、山全体が橙色に染まり、
風が吹こうものなら夥しい花粉が飛散して
花粉症の人には最悪の山域である。
それ故に落葉樹は乏しいので熊の餌となる木の実など無いし、
クマなど居る筈もないと思っていた。
その張り紙の件を石井光造さんに話したら、
「もっと手前の小川町の在にある臼入山でも数年前に、
休憩していたら目の前に現れたことが有るので、
奥まった天覚山で現れても不思議でない」と言われ、
それでは登りに行ってみようかと出掛けた。
R254号線で川越まで走り、
R199号線で秩父方面へと山道に入って行く。
静かなたたずまいの西武池袋線吾野駅の踏切を渡って、
スギやヒノキの植栽林の中を種木に抜ける林道を登って行く。
途中で石井氏より以前は駅から、
この辺りの山道をくねくねと登った記憶があると言う。
車道も大きく蛇行しながら登って行くと、
鞍部の東峠あずまとうげに入山口はあった。
直進して下れば久須美坂へ至る。
路肩には役場がパソコンで作成した「熊出没中」の立札が未だ有った。
狭い駐車スペースに車を置き、小さな沢沿いの山道から入山。
歩を進めると辺りにはノアザミが咲き、小鳥が囀り、
ミスジチョウが羽根を休めていた。
更に登って土や石で造った炭焼き窯跡があった。
戦前まではこの山域も炭の良材である落葉樹の
ナラやクヌギが山を覆っていた事だろう。
日本のどこでも、山仕事で生計を立てていた。
樵(きこり)、薪(まき)、マタギ、炭焼き、ぜんまい採り、
山でそういった仕事が成り立っていたと言う事は、
現在の便利さと引き換えに捨てたものは大きい。
当時は当たり前に木材を使い、ご飯を薪で炊き、
料理は炭で、器やおぼん、そしてお椀や箸など
山の恵みを享受していたのが懐かしい。
今では山村は荒廃し、過疎化が進み、
山村の立て直しは日毎に不可能になりつつある。
杉やヒノキの人工林は豊かな自然林の中では異質の存在、
生物多様性のバランスを崩しているので、じくじたる思いだ。
尾根に上った所が分岐で、以前に石井さんが登った沢筋の道と合流する。
ここで一休み入れて、尾根上を一投足で天覚山の頂きに着いた。
この頂きは西側が刈り払われていて、僅かに奥多摩方面の山々が望めた。
★管理人から令和のこそこそ噂話★
6月16日は「和菓子の日」です!
全国和菓子協会が1979年に制定。
848(嘉祥元)年6月16日、
菓子類を神前に供え疫病退散を祈ったという
「嘉祥菓子」の故事に由来する。
~今日は何の日から引用~
先週末から16時間プチ断食を始めて見ました!
今日はかかりつけ医でHbA1cの数値が標準値まで
再度下がってました。そんな訳でどら焼きが大好きですが、
今日は和菓子の日でも我慢しましたww
あなたのオススメ健康法はありますか?