膝と手首と、そして小指と。
こんにちは。たむです。
そういえば自分の歴史を振り返ったことがないなあと思ったので今回は自分の幾多のケガ遍歴をまとめていきます。
1.幼稚園時代
0歳
自由奔放な生活を送る。末っ子であったためよほど危険でない場合は基本放置されていた。そのおかげでふてぶてしく、強靭に育つと思われていた。
4歳
公園でのそり遊びで雪山の上から滑ってきた子供と衝突。顎のあたりにあざができる。家族は消えない傷ができてしまったとショックを受けていたが、当の私は憧れの前日本代表監督、稲葉篤紀氏と同じ位置にあざができたためかなり喜んでいた。 全治2週間。
6歳
自転車に乗れるようになり、家の周りで兄と競争していたところ転倒。頭からの出血と一瞬の気絶。兄は自分が死んだと思い大焦りで親に報告。病院につく頃には意識は回復。ホッチキスで縫う。 全治2週間。
2.小学校時代
7歳
児童館で一輪車に乗ろうとしたところ転倒。顎から地面にぶつかる。7針縫う。手をつくということを知らない幼少期だった。全治2週間。
9歳
兄の影響で野球を始める。
10歳
野球の練習中、ファーストからサードに投げようとした際に骨折。投球骨折というものでひねりが加わったのが良くなかったらしい。目立ちたがり屋だったため三角巾で手を吊って登校することに特別感を覚え、たまにはけがも悪くないなあと思ってしまう。 全治2か月。
11歳
野球の練習中、ヘッドスライディングが下手すぎて膝が内出血でパンパンに腫れ上がる。このころから自分ってケガする才能あるのではないかと気づき始める。その推論はずばり、当たる。 全治1週間×3回。
12歳
野球の練習中、ヘッドスライディングが下手すぎて腰骨当たりが腫れ上がる。膝をぶつけないように気を付けていたら今度は逆側に体重がかかってしまったらしい。この時に自分の背骨、胸骨に歪みがあることがケガの原因ということを突き止める。だが先天性のものでどうすることもできないことを知り、スポーツが向いていないことを悟る。 全治2週間。
2.中学校時代
13歳
中学でも野球部に入る。
14歳
クリスマスに凍結した路面で前のめりに転倒。手首を骨折。手術レベルのけがだったが、折れる方向が手術に適さないらしく、自然治癒力に委ねた。ケガの仕方がダサすぎたためクラスで自虐っぽく話すと思いのほか好評で、これがきっかけとなり自分の中で自虐ネタブームが到来する。 全治3か月。
3.高校時代
16歳 春
体が大きくなればケガしなくなるんじゃないかという淡い期待を抱きラグビー部に入部。
16歳 夏
練習試合中、コンタクトプレーで右肩を亜脱臼。このころはチームにけが人が多く、1年生の自分でも試合に出られていたためこのチャンスを逃すまいとケガを隠して試合に出続けた。しかし先生にすぐにばれて病院を受診。
当初はリハビリで予防するという方針だったが癖になり何度も繰り返してしまったため人生初の手術。術後はウルトラスリング3という装具をつけて街に繰り出す。目立つ装具だったがたまたま同じ時期に全く同じ装具をつけていたクラスメートがおり、珍しさが半減する。
リハビリ含め全治4か月。
17歳 夏
大会前の合同練習中、ラインアウトというプレーでキャッチミスをし、小指を脱臼。関節が曲がってはいけない方向に曲がってしまっていたため今までのケガの中で一番焦る。関節がもとの位置に戻ってからはただの突き指として扱われ次の日から練習参加する。
全治1日だが衝撃的過ぎたため記述。
18歳 夏
試合中にジャンプしてボールをとったところ着地時に膝から崩れ落ちる。歩けないほどの痛みだったためすぐに遠征先の病院に行くがねん挫と診断される。地元のかかりつけ医をもう一度受診すると左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷と診断される。ラグビーどころか走ることすら絶対にやってはいけない状況ではあったがチーム状況もあり最後の大会には出場。引退後即手術。
長期入院だったがたくさんの人がお見舞いに来てくれたため退屈せずに済む。お見舞いは思っていた5倍うれしかった。看護師さんは神。
リハビリ生活は長かったもののつらいという感覚はなかった。その時に理学療法士の道も少し考えるがあまり待遇が良くないということですぐに方針転換をする。 リハビリ含め全治7か月。
4.大学入学~現在
膝と肩の術後経過があまり良くなかったためスポーツに懲りて特に運動をしなくなる。そのため高校までのような大きなけがはしていない。
5.まとめ
打撲から靱帯断裂まで様々な印象的なケガをまとめました。
書きながら「この記事どこにも需要ないな」とも思いましたがいつもの三倍すらすら書けたので投稿します。笑
きちんと自分の振り返りをしたことがなかったのですが改めてまとめてみて本当に親に迷惑をかけていたということを再確認しました。
ケガをよくするのをわかっていながらラグビー部に入ることを「やりたいことがあるならやりなさい」と言ってくれて、けがした後の身の回りの世話などをすべて行ってくれた両親には感謝しかありません。
まだ養ってもらっている身ですが、これからの長い人生を経てビッグな男になって恩返しができたらなと思います。
読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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