ACIMマラソン55日目
今日、半袖で歩いている人を2人も見かけたんだけど、春を待ち切れないのかしら?でも今週末は20度近くの暖かさになるみたいね。
第55課は、
第21課~第25課のおさらいです。
21.自分は物事を違ったふうに見ようと決心している。
I am determined to see things differently.
自分が今見ているのは病気や災害や死として表れていることでしかない。こんなことは神が御愛し子のために創造なさったものであるはずがない。そんなことを見ているという事実がまさに、自分は神を理解していないということを証明する。したがって、その神の子をも理解してはいない。自分はだれなのか自分でも分かっていないということを、自分の目にしていることが教えてくれる。自分自身についての錯覚を見せてくれるものではなくて、自分のうちなる真実であるものの証拠を見ようと決心している。
22.自分が見ていることは、一つの報復のかたちである。
What I see is a form of vengeance.
自分の見ている世界は、どうみても愛のこもった思いを描写しているとはいえない。それはすべてのものがすべてのものを攻撃している光景。決して、神の御愛と神の子の愛とを反映してはいない。自分自身の攻撃的な思いがこんな光景を生じさせた。自分の愛のこもった思いが、この世界をこのように知覚することから自分を救い、神が自分のために用意してくださっている平安を与えてくれる。
23.こんな世界からは攻撃的な思いを放棄することで逃げられる。
I can escape from this world by giving up attack thoughts.
ここにこそ救いがある、他のどこにもあるわけではない。攻撃的な思いがなければ、攻撃のある世界を見ることはできない。許すことで、愛を自覚できるようになるにつれ、平安と安全と喜びの世界を見るようになる。だから、自分はこれを、今見ているものの代わりに、見ることを選択する。
24.自分にとって一番ためになることを知覚してはいない。
I do not perceive my own best interests.
自分がだれか分からないというのに、どうして自分にとって一番ためになることに気づくことなどできるだろうか。自分にとって一番ためになると自分で思うことは、ただ自分をいままで以上に錯覚の世界へと縛り付けることになるだけだ。自分にとって一番ためになることを自分で知覚することはできないと認めて、それが何なのかを見いだせるようにと、神が与えてくださった御案内役に快く従うことにしよう。
25.何であれ、それは何のためなのか自分にはわからない。
I do not know what anything is for.
自分にとっては、すべてのものの目的は自分自身について自分が錯覚していることは本当のことだと証明することである。こんな目的のために、自分はみんなを利用し、すべてのものを利用しようと企てている。この世界はまさにこのためにあると自分は信じている。したがって、その本当の目的には気づいていない。自分でこの世界に与えた目的が、そのぞっとするような光景に導いてしまった。自分が与えた目的を取り下げて、この世界の本当の目的に自分の心を開き、それについての真実を習うことにしよう。
第21課~第25課は、錯覚の世界からの抜け方を知る段階のようですね。
自分に攻撃的な思いがあるから、この錯覚の世界で「ぞっとするような光景」を見ている。神が創造した世界がこんな世界であるはずがない。
攻撃的な思いではなく、愛のこもった思いで世界を見れば真実が見えるようになる。真実が見えないのは、神を理解していないからだ、ということのようです。
まずは自分は自分にとって何がベストなのかもわからないおバカさんであることを自覚しないといけないようですね。
See you tomorrow!
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