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「脱力」と「重心」

というわけで、無事に誕生日を迎えた。

45歳。

「まさか自分がそんな年になるなんて!」と月並みなことを思うけれど、おそらくこの先もずっと思うんだろうなと思う。

後輩に「まだまだ若いね!」と言う自分は、先輩から「まだまだ若いね!」と言われる。
ただ最近、同い年と飲んでいると「老害って言われないようにがんばろうな…」が合言葉になってきた。まあ、ちゃんと年は取っている。


さて、誕生日はいい振り返りの機会だ。

5年前のSNS投稿を遡ると、40歳になった自分は「これからは衰えも織り込みながら、自分史上最高の最高の状態で年を重ねていきたい」と言っていた。
その日を迎えるまでは、体を鍛え、心を整え、挑戦して自分をアップデートして、何かを手に入れるために一生懸命走っていたような気がする。

おかげで、今、想像もしてなかった場所に立っていることは確か。

ただ、その後の数年は、走るだけではなく少し疲れて歩くこともあったし、世の中的に立ち止まらざるをえないこともあった。
これにはいい面もあって、少し力を抜く、つまり「脱力」することで周りを見る余裕ができたり、自分のことを見つめ直す時間ができることもわかった。

そして最近、友人のおかげで始めた登山でさらに気づいたことがあった。
山で求められる歩き方は、平地のそれとはまったく違うということだ。
つま先で蹴ってかかとで着地するのではなく、体の重心を意識して足の裏全体で着地する。さらに上りと下りでもまた歩き方が違う、だけどこれが長く疲れずに歩き続けるために必要なこと。

走る、歩く、立ち止まる、で語られることの多い人生もきっとそうなんだろうと思う。

走るだけじゃ続かないし、ただ歩くことも長い目で見れば違う。時には、状況に応じて歩き方を変えて、疲れたら立ち止まって休むことも大事。
それを見極めるために必要なのは今の自分の「重心」がどこにあるのかということ。

そんなことを考えながらここから先の「自分史上最高の状態」に必要な要素は、「脱力」と「重心」なのかな、という結論になった。

1年後なのか、5年後なのか、また振り返った時の記録として。


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