宿題〈加筆修正版〉
【小説】
※本作は、2014年4月にnoteに掲載した作品の加筆修正版です。
世界から嫉妬というものがなくなれば、どれほど平和で生きやすい世の中になることだろう。戦争や犯罪は、つきつめればすべてが嫉妬というやっかいな感情に起因する。
「幸せとは優越感だ。他者との比較の上にしか存在しない」
そう言った高校の友人は、大学在学中に自ら命を絶った。遺書には「私の内に棲む嫉妬と矜持の狭間に立ち、存在自体を無にするしか術がなかった」と書かれていた。
たぶん、彼女にとってそれは真実だったのだと思う。そしてそれはとても悲しい真実だ。
多くの人にとってこうした問題は「やっかいなこと」の範疇に入り、なるべく立ち入らないようにして、テレビや漫画を見ては気を紛らし無かったことにしようとする。あるいは「はいはい、その話ね。知ってる知ってる」と表層の理解でやり過ごそうとする。
その方が生活する上で賢いことはわかっている。
でも私たち(彼女と私)は、放課後になるとあの少女趣味が大半を占める文芸部の部室に籠り、または理科棟の屋上の手すりにもたれかかって、ふたりで『二十歳の原点』を音読する会を催して、その後の人生に多くの宿題を残した。
そして彼女は宿題に真正面から取り組み、私は生活との折り合いをつけながら、少しずつ少しずつそれに取り組んだ。
大学に入って初めてできた彼は、半年という交際期間のなかで、ほんとうの私に触れたことは一度もなかった。
彼の知性や理性は、その年頃の男の子たちに比べれば遥かに上等だったが、ひとつのベッドで寝るようになっても私は、私のほんとうを彼に見せることはなかった。
それは「独りでいること」だった。
就職活動をするなかで、面接官は私に質問した。
「将来の夢は何ですか」
将来に明確な夢を持つほど現実を生きていなかったし、カネ、モノ、名誉などに興味はなかった。
「幸せ」になりたいとは思ったが、その幸せがまだ定義できていなかった。そう、宿題が終わっていなかったのだ。
「適当に答えておけばよかったんだよ」と適当なつき合いの同級生に言われたが、思ってもいないことを答えにすることはできなかった。
社会に出るには、あまりに「未熟」だった。
それでも小さな出版社が私を拾ってくれ、社会人にはなることができた。
仕事は驚くほどに忙しく、休日の8割は出勤し、平日は毎日終電でアパートに帰り、寝るだけの生活が3年続いた。
それは私にとって、現実の社会に適応するための行だった。少しずつ宿題の存在が身体のなかから消えてゆき、たぶん私のなかで、それまでの「私」が死んだ。
そして、30歳を目前にして私は結婚した。
相手は、死んだ「私」なら絶対に選ばないタイプで、欠片も「未熟」ではなかった。
そして、いま、私は日を常にして暮らしている。「二十歳の原点」から10年以上の時を経て。
死んだ高校の友人は、確かに「独り」であり「未熟」であった。私を含め何人かの友人が彼女のまわりにはいたが、誰ひとり彼女の孤独という名の鎖を外してあげることはできなかった。
それはあまりに強固で、それだけ生きることに彼女は真摯に向き合っていた。
ある秋の夕暮れどき、私たちは理科棟の屋上にいて夕日を見ていた。
西の空が真っ赤に染まり、その階調は濃度を薄めながら東の果てまで続いた。紺の制服を着た私たちも、灰色の校舎も土埃の舞う校庭も、ごみ焼却所の高い煙突も、この世界のありとあらゆるものが、茜色に染まった。
「ねぇ」
彼女が言った。
「あたしはこの景色を生涯覚えているよ」
でも、彼女はそれから3年後に自らの命を絶ち短い生涯を終え、あの日の空はいまでも、彼女の記憶とともに私の胸の奥に、しん、とある。
私たちは、いまでも時折生きる意味を考える。
近親者の病気や死、災害で一瞬のうちに奪われる大量の命、自らの残された時間。
「独りであること」に変わりはない、「未熟であること」に変わりはない。
彼女は死んでしまったが、私はもうひとりの自分の「死」によって、こうして生きている。
世界から嫉妬というものがなくなれば、どれほど平和で生きやすい世の中になることだろう、とは、いまでも思う。
彼女に冥福を。もしあの世で幸せを定義付けできているならば。そうでなければ、あまりに悲しすぎる。
tamito
※引用:高野悦子『二十歳の原点』
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