少し先の未来で

【小説】

 

 旅の空にある夢を見る。よく。

 そんな日は朝日が昇るまえに目が覚める。
 目覚めてしばらくは、それが消えないようにと、意識と無意識の中間的な感覚を維持する。

 そして、そんなときに心と身体に〈ズレ〉が生じる。寝ている自分を俯瞰するもうひとりの自分。

 これは、旅の夢の話ではない。

 夢は、たびたび少し先の現実を見せる。子供の頃に気づいた。

 ある朝、母方の叔父が自動車事故に遭う夢を見た。車と車が衝突しフロントが半ば潰れた車内から、額から血を流した叔父が転げるように降りてくるというリアルな夢だった。
 その二日後、叔父は交通事故に遭った。幸い夢で見たようではなく、車同士の軽い接触事故だった。

 わたしはこのことを誰にも言わなかった。何故、両親にも友人にも言わなかったか、そのときの理由は定かではないが、とにかく怖かったことだけは強烈に覚えている。夢を見たときは、それを誰かに話したら現実になる気がして、実際に事故が起きたあとは、自分が変な夢を見たせいだと思い、誰にも話せなかったのだと思う。いま考えれば。

 それからも2~3年置きに、少し先の現実を夢に見ている。

 身の回りの現実を背景にした夢を見ることは多い。ただ、それが近い将来に現実のものとなる夢は、目覚めた瞬間にわかるのだ。
 だから、目が覚めたときにできるだけ、それを頭のなかから追い払おうとするのだが、そうしようとすればするほど、夢のなかの出来事を詳細に思い出してしまう。

 良いことならば、まあよい。嫌なのは誰かが怪我したり傷ついたりすることだ。高校二年のときに、こんな夢を見た――。

 

 学校の体育館、用具室、5~6人の女子の集団、ひとりの憐れな女の子。誰も直接手を下さない。でも、卑劣で忌まわしいいじめが行われている。見たくもない映像がリアルな息づかいでわたしに迫る、夢のなかで。

 その子はいつもいじめられていた。その集団のなかにいて。表面的には、例えば教師の距離からは、仲の良いメンバーのひとりに見えてしまう。巧妙なのだ、いじめ方が。でも、クラスメイトは全員知っている。知っていて、誰も気づかないふりをしている。沈黙という名の共犯。わたしもそのなかのひとりだ。

 この夢は現実に起こることだとわたしは知っている。選択肢はふたつ。彼女に体育館に近づかないよう言うか、黙っているか。だけど、忠告したところで彼女には通じない。夢で見たから、なんて誰も信じない。でも、そのとき、わたしは彼女に言ったのだ。授業以外で体育館に近づかないように、と。
 彼女は怯えた表情でわたしを見た。嫌な予感でもあったのかもしれない。彼女を標的として取り巻くグループは、これまでにも獲物を次々と替えてきた。わたし自身その対象になる可能性だってある。だから、それまではすべてを見て見ぬふりをしてやりすごしてきた。少しでも関わりになれば、次の獲物になりかねないからだ。
 でも、わたしは怯える彼女を見て、こう言ってしまった。

「何かあったら、わたしに話して」

 たぶん、それまでの人生でもっともリスキーな言葉だ。

 それから三日後、そのときは来た。

 6時間目の終業のチャイムが鳴り、わたしは教科書をバッグにしまい、すぐに席を立とうとした。しかし、出口に向かおうと振り返ったとき、彼女と目があってしまったのだ。すがるような目でわたしを見て、明らかに彼女は助けを求めている。
 わたしは迷った。彼女の目を見つめながら逡巡していると、その視線を遮るように彼女はグループに取り囲まれ、そして連れ去られた。

 わたしは追う理由を考えた。彼女と親しいわけではない。話したことだってほとんどないのだ。だけど、先日、忠告をしてしまった。その上、「何かあったら~」なんて余計な言葉までかけてしまった。
 その責任で追うのか? 大きなリスクを背負ってまで? これは正義感なのだろうか? なぜ、世の中にはこんな理不尽なことが起こるのだろう? 人を集団でいじめる心理とは何だろうか? ストレスの発散だろうか? グループの個々の人の心にはどれほどの悪意があるのだろうか? そして、どれだけの善意があるのだろうか? わたしの疑問はやがて怒りへと変化した。

 わたしは走り出した。あの子たちだって、実際に暴力を振るうわけではない。ならば、わたしが先に手を下そう。そして、ひるんだところで彼女を連れて逃げよう。廊下にたむろしている人を縫うように走り、階段を駆け降り、渡り廊下のうえで追いついた。
 走り来るわたしの気配に全員が振り向いた。わたしは右の拳を握りしめて肩のあたりに構えながら走る。いまにも殴りかかりそうに見えたのだろう。グループのメンバーは後ずさりして腰を屈めた。明らかに怯えていた。
 わたしは拳を使うことをやめ、その代わりに大声で叫んだ。

「やめな!」

 その声の大きさに腰を抜かした子もいた。わたしに敵意を向けた表情の子は誰もいなかった。その中央に、充血した目を真ん丸にして驚いた顔の彼女が立っていた。その手を取り、わたしは来た道を戻っていった――。

 なんなのだろう。後でひとりになってから、公園のベンチに座って、震えた。両手で肩を抱き、足下をゆく蟻を眺めた。

 なんなのだろう。なんなのだろう。なぜ、人は集まると仲間外れをつくるのだろう。わたしもこれまで誰かを仲間外れにしたり、いじめたりしたことがあったのだろうか。たぶん、積極的にではないにしろ、あったのだ。
 わたしにそのとき悪意はあっただろうか。今日のわたしは正義なのだろうか。同じわたしが悪意にも転ぶし正義を振るう。確かなことなどなにもないじゃないか。

 

 ――旅の空にある夢は、現実からの逃避願望だと何かの本で読んだ。であるならば、そこから続く心と身体の〈ズレ〉も、この現実からの、この身体からの逃避なのだろうか。
 それからもわたしは事あるごとに考える。この理不尽な世界について。この不確かな世界について。そして求めている。もし、絶対的に信じられる確かなるものがあるならば、と。

 

tamito

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#小説 #不確かな世界で

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