不確かな世界で -決壊-
【小説】
確かさと不確かさについて考え続けている。
もう何年も。
繰り返し繰り返し考え続けている。
それでも結論は導き出されない――。
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例えば、あなたの掌のうえに10円玉を一枚置くとする。そして、あなたはその10円玉を握りしめる。さて、いま、この瞬間にあなたの手のなかには本当に10円玉があるだろうか。
きっとあなたはこう答えるだろう。
「10円玉は私の手のなかにあります。結んだ手を開けばわかります」
手を開いたときにはあるかもしれない。だけど、いま、この瞬間に手のなかに10円玉があるとは限らない。さて、あなたはどうしたら、10円玉がそこにあると証明できるだろう。
「だって、さっき掌のうえに置いたじゃありませんか」
確かにさっき僕はあなたの掌の上に10円玉を置いた。そしてあなたは手を握りしめた。でも、いま、この瞬間に10円玉はあなたの手のなかにないかもしれない。
「いえ、確かにあります。それは私自身の手の感覚でわかります」
そんな感覚なんてものはあてにならない。あなたは足の人差し指に触れられて、それが人差し指だと言い当てられるだろうか。 ほとんどの人は触れられた指を中指だと勘違いする。人の五感はありとあらゆる誤った判断を下す。柳のしたに幽霊はいないんだ。
「それなら質量を計ればわかります。10円玉があるときとないときとでは、わずかながらも質量が違うはずです」
質量を計るときには存在しているかもしれない。でも、計り終えた後に10円玉は消えているかもしれない。
「そんなことを言ったら、10円玉があることを証明することなんてできないじゃないですか」
その通り。誰もあなたの手のなかに10円玉があることを証明することはできない。あなたの手のなかにある10円玉は、不確かさの象徴なんだ。
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では、確かさとはなんだろうか。すべての物理的現象は不確かなのだろうか。いや、科学のもとではほとんどの物理的現象は確かなものだ。では、確かなものを不確かとさせるものはなにか。それは我々自身とも言える脳の働きにある。
記憶、思考、反射、そして感情。我々をヒト足らしめる根本となる脳が、本来は確かなものを不確かなものとしてしまう。
我々は日々、不確かさに怯えている。そして確かなものを求めて足掻いている。不確かさを封じるために構造を作り、その構造を守るためにルールを決める。我々は、さも確かさを手に入れたかのように構造という繭のなかで背中を丸め、安堵する。
でも、その構造の確かさは、不確かな脳を補うための共同幻想であり、俯瞰してみればそれこそが不確かさそのものと言える。
それに気づかない人は幸せだ。不確かさに怯えることなく人生をまっとうする人も多いだろう。だが、それに気づいてしまった人がいまこの時代に急増している。一度気づいてしまえば、すべての価値が覆る。白が黒となり、光が影となり、正が邪となる。
ねぇ、君、教えてくれないか。
僕は構造のなかで比較的忠実な市民として生きてきた。でも、ある日、道を歩いていて躓いてしまったんだ。何に躓いたのだろうと足下を見ると、そこには剥がれかけた床板みたいなものが浮き上がっていたんだ。何が剥がれているのだろうとその端を掴んで引っ張ってみると、それはベリベリと音を立ててさらに剥がれていった。剥がれた裏側にはうっ血した血液のように赤黒い何かが渦巻いていた。僕は身震いをして剥がれた箇所を元に戻そうとしたが、一度剥がれたものは決して元には戻らなかった。だから、恐くなってその場から離れたのだけど、それから不確かな現象が次々と起こるようになったんだ。そして、後から気づいたよ。そう、あれは、構造の外壁だったんだと。
ねぇ、君、教えてくれないか。
構造からこぼれ落ちた者は、もう二度と確かさの繭のなかで安らかな眠りに落ちることは叶わないのだろうか。構造の中にある人と構造の外にある人とは、交わることはないのだろうか。そして、構造が決壊を始めたのには、なにか理由があるのだろうか。
これは僕の内なる物語である。
と同時に、君が辿った物語でもある。
物語は時空を超え、人称を超える。
そして、物語の終わりは遥か彼方。
何千光年、何万光年、外宇宙の果てにある。
ねぇ、君。
tamito
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