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純真文案日記 1.8 「スミレ/脚本家の役得」
今日はどこにも出かけない日。と誓いながら開けた冷蔵庫が枯渇している。私はこの後イオンに行くことになる。
午前中は朝ラン、洗濯物、部屋の片付け、作業場の片付け。作業場は今、1月11日に開催される「神詣」用の工作で一杯になっている。ザストロングパンタロンXさんのライブで使ってもらうのだ。光栄だな。
片付けといえば、我が家はどこかに小銭の神様がいるのではないか、と疑いたくなるほど小銭が落ちている。掃除をするたびに小銭が見つかる。家事は気づいたもの負けの無償労働(それを愛と呼ぶには早すぎる)と言われているけれど、片付けるたびに小銭が見つかるので今や無償ではなくなっている。今日の報酬は10円玉2枚。絶対に小銭の神様がいる。小トトロくらいのサイズで、掃除をする私を見つけてはそっと小銭を置いてくれるのだ。そう思うとちょっと嬉しい。
昨日、私が脚本を書いていたと知った知人が、少し照れながらこんな言葉を口にした。「ファンタジーは道端の雑草の中に咲く一輪のスミレのようであってほしい」こんな美しい言葉を、不意に口にできるあなたこそファンタジーの使い手ではないか。なんだか胸に詰まって言葉を返せないでいたら、道端の雑草の中で出会った一輪のスミレみたいなその人は、いつもどんなふうに日常を乗りこなしているか話してくれた。その話に耳を寄せながら、ああこの人にも、私の家の小銭の神様の姿が見えるんだろうな、と思った。
劇作家とか、脚本家とか、舞台演出家と名乗るたび、知らない人も見知った人も、道端の雑草の中のスミレみたいな一面を見せてくれる。劇作家とか脚本家とか演出家である本当の役得はこれなんじゃないかと思ったりする。
我が子が幼い頃、咲き誇るたくさんのスミレと毎日暮らしていた。中学生、小学校高学年になった我が子たちは、小銭の神様を簡単に見てくれないけれど、でも隠しているだけできっと咲いている。
そんなこんなでイオンへ。
それを愛という前に、ファンタジーで乗りこなすわ。
たみお