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純真文案日記 1.24「Dちゃんと涙のわけ」

山形県鶴岡市からDちゃんが帰ってきた。
気づいたのは五条大橋の真ん中だった。私は圧巻の三十三間堂でDちゃんに似た仏像を見つけたばかり。まあDちゃんがあんなに静かに居られるわけがない。ふふっと鼻で笑って、そういやあいつ何してるんやろな、と思った帰り道だった。

驚くほどつるんとした小さい牛若丸と弁慶を通り過ぎてすぐの五条大橋。その真ん中で驚くほど静かに佇ずむDちゃんがいた。コートが派手な緑色でよかった。危うく通り過ぎるところだった。

Dちゃんの視線は鴨川の煌めきに落とされている。はて。何かいるのか。
そういえば今年、四条大橋から見下ろす鴨川に1匹の立派な錦鯉が泳いでいるのを見たんだった。朱色と白色が立派に揺れていた。そういう「あんた一体なぜここに」という何かに見惚れているのか。

そこで私も「あんた一体なぜここに」と言いたくなる気持ちを抑えて、そっと静かにDちゃんの横に並ぶことにした。間隔は2.5m。Dちゃんは気づかない。我々京都人は距離感に長けている。注意深く気配を消してDちゃんの眼差しに習う。

いた。凧だ。四角い凧が何かに引っかかって揺れていた。正月の名残か。オレンジ色に黒い筆文字で龍と書いてある。去年の正月の名残なのか?見惚れていると、

「去年のやつかなあ」
Dちゃんの声がした。気づいたらDちゃんは私のすぐ横にいた。

山形でのデートは微妙だったらしい。DちゃんはJさんを泣かせてしまった。

Jさんは四号瓶の「明け方彗星」を見るなり、息を止める勢いで喜んでくれた。その夜は温泉宿で彼らの部屋を担当した仲居さんも一緒に酒盛りをした。気前のいい計らいで一号瓶も加わり素晴らしい夜になったそうだ。もちろん酒場は好きだけどお酒の飲めないDちゃんはシラフである。
「え、仲居さんも?どんな宿なんよ」と聞くと、人間だろう、誰とでも呑めるやないか。とトンチンカンな返事が返ってきた。いやそうじゃなくて、まあいいか。

その次の日である。Dちゃんの隣で目覚めたJさんが泣き出した。Jさんは滅多に感情を表に出さない女である。数年前、そんなクールな彼女の激情を目にしたDちゃんは恋に落ちたのだけど、その朝の涙はただただ悲しいもので、Dちゃんは狼狽えることしかできない。

どないしたんや、とDちゃんは静かに聞く。部屋にはJさんの立てる掠れた音と、窓の向こうの枝から雪が落ちる音しか聞こえない。Jさんは答えない。

「なあ、静寂ってな。涙が作るんやな」とDちゃんが言う。それどころじゃないときに妙な客観性が働きだす感じだ。静寂は本当に大切なことに気付く時、そして同時にそれを失ったと気付いた時にやってくるんだ。Dちゃんはその予感をキャッチして、ただ黙ってJさんの涙に寄り添った。それ以上理由を聞くと失いそうだと思ったからだ。

そんなこともできるのかDちゃん。鼻で笑ったことを私は少し後悔する。
Dちゃんはかつて結婚生活を送ったことがある。その時の経験がそうさせたのかもしれない。ごめんよDちゃん。私たちは色んな時間を通ってここにいるんやな。

涙が落ち着いて、2人は鶴岡の街を歩いた。その日は雪が降っていて、やがて雨に変わる。
Jさんは綺麗な眼差しをDちゃんに向けて「次は私が京都にいくね」と言った。飲み干した朝焼け彗星の瓶をJさんは大切に旅行カバンに入れて、北海道に帰って行った。

Dちゃんはしんみりと話すのに、私は「こっち来るの!じゃあみんなでご飯を食べよう、うちにおいでよ」と跳ねるように提案する。「そういうとこやぞ」とまたムッとされてしまう。とにかくDちゃんはJさんが大切なんだ。あの人がそうしたいって言うなら連れていく、それまで何も言うなや、と釘を刺される。私がラインでJさんの連絡先を開いたからだ。


Dちゃんは鴨川に揺れる凧に視線を戻して、「なんでなんやろな」と呟いた。
「去年からずっとここにいたら面白いな」と返すと、「そこじゃない」とDちゃんは呟いた。

たみお

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