自分はアセクシュアルなのか?
この言葉を最初に検索し始めたのは、2年半ほど前だろうか。
1年弱ほど付き合った人と別れた直後のことだった。その人と別れた原因は、私が相手からの性的な接触に耐えきれなくなってしまったからだ。
最初は全然問題なかった。手を繋ぐ、キスする…といったところまでは、恋愛初期のワクワク感にも乗せられて、「こんなものかな」と普通に受け入れられていた。
決定的に嫌悪感が始まったのは、最初にそういうことをした直後だ。
その場では普通に受け入れていた…つもりだった。だけど、家に帰る時、途方もない虚無感に襲われて、顔からは表情が抜け、気づいたら景色が歪んでいた。帰ってからも虚脱感が抜けず、数時間ベットに寝転んでぼーっとしていた。
そして、その夜から目を閉じると場面がフラッシュバックして、
ハッと
飛び起きることが毎夜続くようになった。思わず「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」と呟くこともあった。
もうこんな状態になってしまったら、普通に会って仲良くするなんてできなかった。
相手の一挙手一投足が、最終的に私を苦しめようとしているのではないかと感じられ、怖くなった(実際はそうではないし、私のために色々としてくれていた。それは伝わっていたが心が追いつかなかった)。
それで、1ヶ月会わない期間が欲しいと私から切り出して、そのまま終止符を打つこととなった。その後1年間くらいはフラッシュバックに苦しめられることとなった。
こんな痛い(相手にもきっと痛かったはずだ、なんといったって急に理由も分からず避けられるようになって別れることになったのだから)経験の後、アセクシュアルについて知り、ちょっとの人生経験を経た今当時の出来事について振り返ってみると、このような状態になった理由について、可能性が2つに絞られると思う。
1つ目は、自分から好きになった人と付き合ってなかったという可能性。
これは周囲の友人から言われることが多い。アセクシュアルの人だと「そうじゃないんだよ!」という反応をする方が多いのかもしれない。私は(恐らく常時適当な考えをしているからというのも多分にあるが)そこまでの反応はない。「まぁ対照実験できてないしその可能性もなきにしもあらずだな」とまだ感じている。呑気なだけかもしれない。
まぁこれで終わってもいいが、もう年齢も若すぎることもないので、今後の身の振り方についても考えてみる。(勝手に考えてみている)
この1つ目の場合だったら、次に自分がやるべきことは、今までの経験を実験系Aとするならば、「自分から好きになった人と付き合う」という条件だけを変えた実験系Bを実施することだ。
綺麗な対照実験をすることは難しいと思うが(出会う場所とか相手の容姿とか性格とかは唯一無二性が高いので揃えるのは無理だろうな、というか揃えてたら気持ち悪すぎる)、これを1つでも実施して違いが生じたら、私が今まで単純に消極的すぎて勝手に自己完結できるような論を展開していただけ、という結論になる。
これなら、世の一般的な異性愛のステップを踏むことも難しくないと思われるので、世の平均年齢くらいで結婚することになるだろうか。自分の性格的に長いものに巻かれがちなので、そういうことになりそうだ。
2つ目の可能性としては、自分はアセクシュアルだという可能性。
この場合、いわゆる「恋愛」をするのはかなり難しいと思う。
もう少し前までは プラトニックな関係だって世の中にはあるよね…! と思っていたが、周りの男友達から話を聞いたり、周囲の発言を具に聞いていると、どうやら、特に男性においては性愛と付き合うことを切り離すことは至難の業らしい。
だったら、そういうことだけは専門のお店でやってもらえれば、と思っていた私の考えも無下に打ち砕かれ、どうやらそういう話でもないらしい。
あと、男友達から聞いて驚いたのは、意外と女性側も性欲が普通にあるらしいということ。
その話を聞いて、「あ、そりゃあ自分がそういうことをしたら1年間夜にフラッシュバックするくらいのダメージ食らうよな」と、少し自己を受け入れることができた。
アセクシュアルだとしたら、最初の自己開示が必須になってくるだろう。そして、それでも一緒にいてくれる異性は、1%もいないかもしれない。そもそも異性である必要性はあるのだろうか。
どこかで区切りをつけて、恋愛・結婚への憧れを自分の中で昇華させる必要がある。30歳過ぎだろうか。
まだ、自分の中ではどっちなのか、答えは出ていない。でも、後悔はしたくないから、タイムリミットを鑑みてひとまず①の可能性をしばらくは検証してみようと思っている。既に力尽きそうだけど…。
恋愛一つとっても、周りとの差を感じて焦り始めるお年頃。「新しい関係性をこの世に作り出せば良いんだ!」と声高に叫びつつ、「世間一般の人がすんなりとやっていることが、どうして自分はできないんだ」という無作為の方向性に向かうプライド。反発心と虚栄心の間で、後2年はグラグラと揺れているだろう。
でも、振り返ってみたら、あんなに悩んでいたのも楽しかったと、あの時があったから今は後悔がなく生きられているのだと、近所の子どもにでも語り聞かせられているような時期にしたい。
20代後半も、不器用に生きていく。