右でも左でもないは、必ず右に権力を与えるだろう

これが2大保守(中道から右が権力を持つ)政党による政権交代である。あるいは、保守政党と自称中道政党による政権交代でもいい。 

結局のところ、日本における保守(右)とは資本や権力を十分に持ち、それを末永く維持したいと考える5パーセント、せいぜい1割と、それに群がる存在である。ハンディーキャップマッチが大好きで、強い権力者、競争の勝者に過度にあこがれる。

彼らが自らの不釣り合いな資本や、与えられた権力見せびらかした時いいね! を猿のように連呼、連打し、自分が彼らになったような気分で、高揚する。

保守と組んだ中道とは、つまるところ保守の周り=資本を持つもの、権力を持つもの、もしくはその取り巻きを、衛星のように回る存在にしか、本人の意図がどうであれ、絶対になりえない

だから、もしも政権交代を狙う中道政党を作るなら、その執行部はゆるやかな左、間違っても保守であってはならないのだ。私たちの多くは、お金や力が大好きだから、自制をやめれば簡単に、今どきの保守化をするからだ。

今どきの保守寄りリーダーが中心となった自称中道政党が行き着く先は、保守とその言いなりであり、保守になりたいが、本物の保守=権力者、資産家、たとえば大企業のTOP、その中の雇用側、あるいは何かの突き抜けた成功者、になれずに、彼らが権力や権威、資本を見せつけると「いいね」を押しまくる、取り巻きである。

だから、もしも自分を中道と語るものが、本当に中道らしい選択肢をするには、今どきの保守寄りリーダーが中心になる野党政党による連携を支持するなんていうのは、思考と行動、結果の不一致である。結果的には、私は保守を選びますと宣言しているようなものだ。

だからこそ石破が誕生した瞬間、自民党の支持率は、バク上がりする。

もちろん、第2野党だって、選挙前になったら、せっかくの政権交代のチャンスが、少なくともあったのだから(過去形)上がらなければおかしいだろう。それが、立憲保守党はたったの1パーセントしか上昇していない。だが、保守連合するために野田を選んだのだが、維新は2パーセント、国民民主は1パーセント、共産、れいわも1パーセント下がっている。合計したら、野田が選ばれる前よりも、野党保守連合も下がり、野党全体でも下がり、自民党と公明党が上がっている

なんと愚かな、何の意味もない選挙のための保守連合ではないか。それを決定づけてしまったのが、悲願どおりにクーデターを成功させ、連れてきた野田をかつぎあげた、立憲保守の皆様と、敗北してしかも、すべてぶっこわす小沢であり、

総理になりたいがなれるわけない(誰が選ぶか、ばかやろう)骨の髄まで権力が欲しいだけ、元希望の党、元官僚、小川などであろう。

野田と石破では、むしろ保守が明らかな政党が、中道寄りの石破をあえて選び、リーダーに据えた自制心に安心してしまうから、無党派層の多数は、石破を選択する。

もっとも、こんな単純化などいらないぐらい、結果的に野田立憲と維新と国民民主は、まさしく無党派層、自称中道の票をほとんど、石破が選ばれた瞬間に、自民党に奪われるわけだ。

この事実を見れば、中道野党政党が保守のリーダーを選んだ時、彼らはしょせんは、与党連立内閣のお相手ぐらいにしかなりえないのも、簡単にわかるだろう。仮に政権を取ったところで、どんどんまた腐敗する。政治権力が欲しいだけの保守だから、内部で足を引っ張りあう、その繰り返しだ。

自分たちが政治改革のための材料を、自ら提供することなど絶対になく、自ら本気で規制することもない。だいたいが官僚の言いなりであり、権力争いのためだけに、政治改革を唱える人間しか、結果的に残らないのだから。

はっきり言おう、立憲民主党にいるほとんどの議員がなぜ、政権交代をしたいのか。自分の政治家としての権力が欲しいから、本当にそれだけだ。それしかないのだ。それは決して自分が信じる何かで国民を導きたいのでも、この国の政治を正したいのでも断じてない。イデオロギーなんてまさしく彼らには何もないのである。ただ、ひたすら政権交代して政治権力が欲しい。それ以上でもそれ以下でもない。その姿勢こそが、まさしく今の保守であろう?

そして、ただひたすら自分が国会議員であることが何よりも優先されるのも当然である。国会議員という政治権力に、いつまでたってもしがみついているのだ。

最高の政治権力であろう、この国の内閣総理大臣にまでなった者60を超えてもなお、他者にチャンスを与えるのを拒み、何歳になっても、もう一度あの椅子に座りたいと血眼になる

なんと醜いことだろう、野田佳彦。そして、それこそが、2世ではなく、金もないが、保守にあこがれ、地位を勝ち取った世襲という元から保守の周りで踊り続けた、どじょう保守らしい政治家の末路であり、権力への執着である。

日本で最大の政治権力を2度取ろうとする男、しかも一度は自ら捨てて、大敗した男が、60歳を過ぎてもなお、もう一度その地位に返り咲くなど、ただの強欲にすぎないと、本人は気づかないのだ。

そして、日本の政治改革に必要なのはたぶん、被有権者資格の引き下げなんかではない。むしろ政治家、国会議員定年年齢の引き下げだ。65で十分だろう。十分すぎる。

彼らに政治権力を持たせてはいけない。少なくともあらゆる役職から外すことだろう。それでは高齢者(私もそうなる)にとって不利? 関係ないだろう。ただ若者に媚びるだけの政治家よりも、若くても高齢者を切り捨てたりしない若者を選べるのだから。

そして、権力も資本もない高齢者を切り捨てるという、高齢保守政治家たちよりずっとましだろう。

ちなみに、ここで書いている保守とは、すべて、今どきの保守だと断っておく。もっとも、私は真の保守なんて、実際知らないし、興味がないが。きっとまともな保守もいるのであろうから。