ザ・ファミリー: 大国に潜む原理主義

 Netflix の宣伝をするつもりはないが、もしも会員なら、ぜひこれは多くの
人に見ていただきたいと感じているドキュメンタリーを紹介したい。

たぶん、The Familyで、検索すると龍が如くのような、現代任侠ドラマ(私は見てないし、あの手の番組は極力避けているので内容は不確実かもしれないが)が出てくると思うがそっちじゃありません。

このファミリーという宗教的(カルト的と私は断言します)組織の名前は、もともとはフェローシップです。さて、フェローシップでもしも検索すると出てくるのは、大学の奨学金制度とか、様々な名前の団体が出てきて、この保守系キリスト教団体に直接つながることはほとんどありません。ただこの団体が関係している、あるいは出資している、と思える組織は日本にもすでにあります。そう、統一教会が名前を変え、それが平和○○とかいうNGOとして、私達の前には現れるのと全く同じです。 具体的な組織名などは、また機会があれば、私の調べた範囲で伝えれればと思います。そして統一教会にかなり熱心に入れ込んでいた議員が存在するのと同じく、日本の国会議員にも、やはりフェローシップと関わっている議員さんはいます。

 私が感心するのは、ファミリーとか、フェローシップとか、本当にどこにでもありそうな、抽象的な名前を組織名にすることでも、団体の主要人物であった、ダグ コーという人が意図した通り、見事に世間から隠されているのです。

私は、昔からずっとカルト宗教、いや宗教全般について疑問を感じてきたので、生物や宇宙に関する新情報、物理学の新発見などを調べるのと同じような気持ちで、この手のドキュメンタリー、宗教に関する情報(たとえば、ほぼカルト新聞なども)はずっと前から見てきたし、国内の様々な新興宗教についても自分の体験もあり、古くはまとめサイトであった、日本の新興宗教などもチェックしているので、宗教がなにか問題を起こしても驚くより、ああ、だから宗教は、、、と感じる方なのですが、カルト的宗教(組織)が、ここまで大きな世界的規模で、(先進諸国かつ民主主義国家と思われる国々も含んで)国内だけでなく国際政治という枠組みにまで、影響を強めているということには、率直に言って絶望感のようなものを感じました。

シリーズの特に2と3は必見です。1は実際に入信し告発した体験談の部分が大きく、えてしてこの手の記録は誇張されがちであると思うから。だが、2と3は、いかにこの秘密を好む組織が、アメリカの政界全体に、そして世界に影響を及ぼしているかを、俯瞰的に見ることができると思います。

さて、統一教会のカルト的側面が浮き彫りになり、日本政界との関連が社会的問題として認知され、被害者を出さない、そして政治との関係を絶たせるため、何ができるかが課題とされる今、昨日もう一度この番組を見直してみました。

そして強く感じたことは、権力者、あるいはエリート層と宗教の親和性、いかに政治家、権力者が宗教を使い、そして宗教が政治家を利用し、其の結果としてバカを見るのは、一般国民 = 権力者以外の人達であるという事実です。 私は政治的な方法論は知りませんが、より多くの人が、すべての宗教について、もっと懐疑的に見ることが、結果的に政治と宗教を分離させるもっとも効果的な方法だろうと思っています。

それは、特定宗教の構成員を、叩くとか批判することではなく、違法行為は当然なのですが、それ以前にその教義、教えと呼ばれるものの一つ一つが、それが例えば倫理的に正しいとしても、なぜ神の名前や、よくわからない悟った人の教えとして語られる必要があるのか、善行は彼らの名前や教えを通じなくても可能であり、高い道徳的価値観も、神や、悟った人の教えを経由せずとも、集団知として、共有できると思っています。

私達が、宗教指導者や、悟った人、あるいはスピリチュアルなメンターなどに、頼るのを止めたとき、二度と政治が宗教を利用することも、宗教が政治を利用することもできなくなるはずです。

世界各国の指導者、政治家、エリート層(たとえば、それは地方議員レベルでも)と宗教が結びついたとき、彼らは、自分たちは神に選ばれたのだとか、自分の行動を正当化するために、神の名や宗教を使います。

実業家がどんな信念、妄想に基づいて活動しようが、それを咎める事はできないと思いますが(違法でない限りは)政治家の場合問題なのは、彼らは自分たちの決定が善なのだ正しいのだというお墨付きを、天とか神に求め、そんなものがあるわけがないので、擬似的に、宗教的リーダーが追認することで、天が自分を選んだ、天が自分にこうさせた、私は神のために決断した、といった簡略化を行います。 

また、彼らがなにか悪事を行ったときも、反省の証として、宗教指導者に赦されることで、自分たちは赦されたとします。

もちろん、そんなことはあってはならないのであって、彼ら(政治的リーダー)が決断する時に必要なのは、民意と知見であり、彼らが悪事を行った時に許しを請うべきなのは、神ではなく、国民なのですが。

国民が宗教の鎖から離れている限り、(少なくとも政治的決断などや、政治的活動、また政治家を批評するとき、宗教的言舌を持ち出さない)、政治家は神でもなく、宗教指導者でもなく、国民の声に従うしかなくなります。

少なくとも、政治家も、宗教と関わっても、実際何のメリットもないということに気づくはずです。なぜなら、宗教では国民が動かないからです。
もちろん、私と同じ感想になるとは思いませんが、ぜひ、紹介した番組は見ていただいて、特に宗教的なもの=善と考えている方は、たとえそれが善意から出たとしても、宗教が政治に(宗教団体が政治家に、そして政党に、そして国家の最高権力者に)結びつくことの危険性について考えていただければと思います。