養子もとっていない、養育経験がない。教育関係の職歴もない。子どもを預かる仕事をしたこともない。つまり子どもを育てたことがない、教えたことがない、人が、子ども中心で考えると謳われている、子ども家庭庁の担当大臣が向いていると強弁するのは、欺瞞でしか無い、適材適所を理解できない、愚か者であろう。
産婦人科医は当然、女性特有の様々な病気対策や、様々な不妊治療がしたいだろうから、それらの治療経験がある、あるいは推進に熱心な人が大臣になるのは大歓迎というわけだろう。ならばいっそのことこれから子どもを生む可能性がある女性のほうがいいだろう。
本人は幾度となく離婚、結婚を重ねているのだ。そのうえで子どもを生む、預かる、養う、育てる、教育関係の仕事につく、たとえば養護施設で働く、相談センターの職員になるなどなど、子供の養育、教育、に関わる様々なアプローチがあるはずだ。
だが、これらが一切ないなら、その人物は、子どもとの何らかの関係性を持つことと、それ以外の様々な事、人生でどちらを優先したのか、誰でもわかるだろう。
子どもが中心であるべきという、子ども家庭庁に必要、少なくとも適した素養は、子どもが欲しくても作れなかった、あるいは作らなかった女性ではなく、どんな家族の形であれ、子どもを産んで子育てした、あるいは養子などで養育した、もしくは、熱心な子供の教育者、養育者、保護者としての経験であろう。
男であれ、女であれ、これらの経験が、長い人生経験において、実務でも家庭でも一切なく、今までしてこなかった人物しか、自民党の国会議員にいないと言うなら、そりゃその中で最善を選べばいい。
だが、民間でたとえば、複数の様々な成人が集まり、もしも子どもを中心に考える団体を作り、そこのトップが、今回大臣に選ばれた人物とおなじようなキャリアを選ぶだろうか? いかに常識とズレているのだろうか。
こんな至極当たり前の、人事における常識からの逸脱に対する批判を、差別だなどと、はきちがえて語ってる人がもしいるなら、本当にその判断力、理解力のなさは、大人として致命的じゃないだろうか。
いかなる団体のトップにおいても、上に立つものが、その団体が重視する事案における経験が足りないなら、もはやそれは、お飾りであるか、その団体など、子供のおままごとのようなものだろう。
少なくとも子供を持つ親なら言うだろう、どうして私達のきもちが、苦労が、本当にあなたにわかるんですかと。
「こども未来戦略」に盛り込まれた主な施策において、家庭における養育者、保護者、あるいは教育機関、子供の一時受け入れ先、これらが関係ない施策が一つでも在るか? こども真ん中を実現するなんていうのは、半分は欺瞞で、結局それを実現するのは、その子どもの周囲にいる大人たちである。ならばこそ、それは社会の周縁で、子どものことを思っている人々ではなく、実際に家庭で、あるいは事業所で、教育関係で、託児所で、関わっている人々であろう。
それらの実務としての経験がない人物を、あえてトップに選ぶ理由など、本当にどこにもないのである。本人の気持ちなんか、関係ないのだ。素人がどれだけプロスポーツについて語ろうが、実務、経験がなければ監督になれないのと同じことであろう。