人類にとっても、「今年はすごく早かった」のだろうか?
もちろん、何の根拠もない。でも、「あれ、今年はとても早かった。なぜだろう。なぜか特別だと思うほど、あまりにも早く誰かがカレンダーを進めたように早かった。」と、私の知人や、他者との挨拶ではなく、世界人類のほとんどが、今の私と同じように感じているとしたら、そしてこの一年ずっとそう感じていたとしたら、それは本当に、人類という種全体が感じている、「危険のサイン」かも知れない。
「コロナ」という人類の半数以上には確実に影響を与えていた心理的重荷から、少なくとも一般生活に影響を受けないほどに、人類の多数は解放された一年だからという、可能性もあるのだろうが。
私は心理学を、気休め程度にしか考えていないので、心理学者がどんな見解を表明するかは、あまり興味がないが、もしも定量的に、人が感じる時間の早さを数値化できるなら、「今年は、時間が早かった」かはぜひ知りたいし、少なくとも私にとっては、いつもの早いなんて冗談に思うぐらい、今年はずっと、時間が早く進んでいた気がするのだ。
当然「年を取るほど、一年が早く感じる。過去の経験量から、一年の生における意味が少なくなるからだ」 私はそういうモノだとずっと思っていた。
でも、今年はあまりにも早く感じた。個人的感覚における今年の早さは、いつもの「一年って早いね」とは違うのだ。私の知っている過去の一年と、今年は日々の進み方が違う。自分の生活自体は、何も特別変わったことなどないのだが。あるとすれば、完全に禁煙が成功したぐらいだろうか?
今でもふと、タバコを吸いたくなるが、手元にたっぷりカートン買いしたタバコのパックはあるが、手を付けないのが当たり前になると、(あぁ、タバコ止めたんだっけ)と、なんとも思わなくなる。でもそれが、時間の進み方まで早くしたとは思えないのだ。
もしも人類という種が、その脳でなんらかの種全体の、あるいはこの地球の危機を察知したとしたら、日々がものすごく早く感じるのかもしれない。
少なくとも、逆にすばらしい時代に近づいているから、時間が早く過ぎていると感じるとは、私には思えないのである。かといって嫌な胸騒ぎがして、毎日たまらないという事はまったくないのだが。
異常に思えるほどの、「時の進む早さへの個人的認識」は、間違いなく人生の半分は過ぎたであろう老いが理由であって欲しいと、心から思っている。