必勝しゃもじは、宗教的か

 youtubeで菅野完氏が新しい切り口で、岸田総理が贈った「必勝しゃもじ」について批判し、怒っておられるようなので、個人的見解を書こうと思った。結構長いです。

https://www.youtube.com/watch?v=r8r8MuS4-sI


(私は必勝しゃもじについて、批判するなら、一緒に送られた「平和の願いを込めた折り鶴ランプ」にも触れて当然だと思うのだ。セットで語られるべきだし、それをやらない時点で、まず何か文句をつけてやろうという粗捜しのように感じてしまう。自分が中立を気取る気はないが、至ってそれは一般的な視点と思う。)

Noteは、自分の公開日記のつもりなので、必勝しゃもじについて立憲民主の議員が質問した時から、自分の感じたことを記録してきた。

菅野氏の必勝しゃもじへの新たな批判が加わったのは、地元が広島の塩村あやか氏のSNS上の投稿「援護するわけではないけど、必勝しゃもじは、広島市民にとって身近なものですよ」(例えば有名なのだとカープの応援)を見てと思われる。

https://twitter.com/shiomura/status/1638826204416581633?cxt=HHwWgoDRrYDwo74tAAAA


いま動画を探したので、こっちのほうが、この件についてどう考えているかよく分かると思う。


ちなみにだが、私は、この方について実際のところ殆ど知らなかった
これを見て、自分=リベラルよりだし、立憲民主党も投票の選択肢に入っている無党派層、有権者 の一人として感じたこととかなり近いと思っている

カープ応援のしゃもじは、元相当なトラキチであった私としては、別の意味で闘争心がわくのだが。菅野完氏は、その書き込みに貼ってあったライブドアニュースの写真=岸田氏が選挙集会で飾っていたと思われる、必勝しゃもじに(おそらく厳島神社?)の御札が貼ってあるのを見て、宗教的な物だと断定されたうえで、問題視されていると思う。

菅野氏は、立憲民主党の議員たるもの、行政に関わる、ゼレンスキー氏への贈り物に、宗教的なブツを贈ったことを重視し、政治と宗教の分離という原則から、当然指摘するべきである、そういう考えなのだろう。

無神論者の私が、一有権者としてこれを真面目に考える気になれないのは、日本における、神道、仏教の特殊性である。もはや神社へのお参りとか、お葬式にお坊さんが来るとか、観光で、神社、仏閣を巡る、ついでにお土産を買う。なんてのは、宗教というより民俗的文化、風習の範疇に入る。

ちなみに厳島神社は、世界文化遺産にも登録されている。しゃもじに、世界文化遺産の神社が祈祷した御札が貼ってあるからと、宗教だと騒ぎ立てる気に自分はなれない。(天皇の行事全てが、国費だから)

そもそも、岸田首相が贈ったしゃもじは、特別な祈祷をお願いして札を貼ってもらったとかいうなら、少し考えるかもしれないが、おそらく、せいぜい元から貼ってあった、あるいは贈ったしゃもじに、札など貼っていないと思っているが、こればっかりは実物を見ないとわからない

いったい、だれかサイズなり、絵柄なり、ゼレンスキー氏に贈った実物なり見た人いるのだろうか。ゼレンスキー氏が写真アップロードしてくれたらうれしいのだが、そんなこと頼めないし、頼むべきでないのも当然だろう。

菅野氏は「宗教団体による祈祷の行われた必勝しゃもじの購入は公費か私費か」というところも、問題にしている。確かに必勝しゃもじが、宗教的な(つまり厳島神社の祈祷料含めたしゃもじの代金)意味が込められているのなら、

憲法20条は、1項で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めています。
そして、憲法89条は、公金その他の公の財産は、宗教上の組織等のために支出してはいけないと定めています。

https://www.authense.jp/keiji/column/215/

繰り返すが自分は、「天皇制廃止論者であり、今の形のまま天皇制が存続する限り、完全な意味での政教分離など実質的にはありえない。」という立場だから、他国の首脳に日本の首脳が送るプレゼントが、日本古来から存続する神社仏閣に由来があるもの、あるいは祈願が込められた御札が貼ってあっても、そんな小さなことで騒ぎ立てる気には、やはりなれない。

玉串料、靖国参拝との最大の違いは、おそらく、この件について、(ロシアにとっては別だろうが)戦争加害者、あるいは戦争被害者側で、大きく視点が異なる問題とならないからである。

どちらかというと、公共行事における鎮魂祭への出費と変わらないと思っている。

もっとも、政教分離がどれだけ日本の行政であるいは、国の形として宗教と正しく付き合えているかはとても大事なことだと思うので、やはり、勉強になる着目点であることに間違いはないが。

 必勝しゃもじの、召し捕る(戦争に勝利する)という、由来からの、立憲民主議員の批判ではなく、土産がどうだではなく、日本はウクライナにどのよう支援すべきだったか、そしてどのような外交が、そもそもロシアへの侵略が行われる前に、ロシアにされるべきであったか。そのような本質的な問題意識を問うなら、それはとても興味深い議論に成り得ただろうが、それを明らかに厳しい日程かつ、アメリカや他国の首脳ほど警護されていない岸田総理が、G7の開催国首脳として急遽ウクライナに向かい、ゼレンスキー大統領との対談に持っていったお土産などは、国会での批判材料にすべき話ではないと思う。

それを言うなら、日本の独自外交はどうあるべきだったかだろう。

そこまでテーマが広がるわけでもなく、必勝しゃもじは、敵を召し捕るだ、戦争の勝利を願うのは間違っている、とか、応援団気分か? 等の批判は、いくら適当リベラル(適当だからかもしれないが)の自分であっても、反対にリベラル系議員、政治家への、下品でしつこく真実に基づかない、ロジックの通用しない、カルト的保守な人たちと、同じ土俵で勝負している気がする。

リベラルからの批判はフェアじゃないと、無党派層は支持しない物量では絶対に負けるからだ。

批判を弱めろ、ではなく、事実を元に言葉尻や、些細な問題、揚げ足取りではなく、なるべく丁寧に批判しなければいけない

必勝しゃもじなどを使わず、ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まるまで、何もできなかった日本の外交のあり方、そして日本の支援のあるべき姿についてや、政教分離をいかに担保するかは、重要な問題であることは間違いないのだが。


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