左翼どうしの、個人的対立に、支持政党まで持ち出すのはどうなのだ

左翼的、あるいはリベラル的、あるいは非保守的、あるいは様々な社会問題に、左側の意見とみなされる様々な政治活動アクションが、知らぬ間に当人たちのお仕事とも深く結びついている人も、右翼と同じく当然いるだろう。

頑張って活動するうちに、個人として認識されるようになり、アクティビストとか名乗るようになったり、活動団体のリーダー格になると、どうしても自分が自分がとなっていくのは、仕方ないと思う。 昔はやった学生企画サークルとか、イベントリーダーも似たようなもんだから。よくわかる。名刺とか作ってると思う、アクティビスト

今の時代は、個人に、いいねも増えるし、ファンもつく。とうとうマスコミ取材が来る。いつのまにか、小さな村の時代の寵児、リーダーポジションに運がよければ祭り上げられてしまう。

気が付けば、誰が一番がんばっていたかとか、なんでお前がと、足の引っ張り合いになることはかまわないんだが、おまえが入党している政党がとか、個人対個人でなく、その個人が率いるグループでもなく、ただその個人が関係している団体や政党にまで広げてしまうと、だいたいそれは、おそらく本人たちの意図が全くなくても、外側=左翼や、その政党、その運動そのものへの攻撃がしたい人達に利用されて、両方とも思いっきりダメージを受けて終わるのである。

何よりも、そのアクティビスト、(単数でも複数でも、めんどくせーっ(笑))とやらの言葉にほだされて、一緒に運動した人たちの気持ちを考えたら、なにを互いにののしりあってるのだ、なんで支持政党の問題にまで広げだしたのだ、本当に困ったものだ、利用されて終わるだけで、せめて個人同士で訴えあって解決したほうがいいのにと思う。

やはり、デジタルAIを駆使した、つまり個人があまり表にでない、政治活動こそ期待されるのである。人間はみな強欲なのである。そうだ、内ゲバは常に外から見てるとみっともないのだ。本当にその運動に共鳴していたものからしたら、見ているだけでイヤになるのだ。だから左翼は減っていくのだ。