なぜ同じ数だけ議員が必要なのか

政治家を志す女性や、選挙に出る女性が、少ないその理由などは、実際のところ優先して考える問題ではない。

問題ではないというのは、それは変化させるべきものであるとしたら、それを決めるのも女性(少なくとも決定権の半分を持つ)であればいいだけだ。

つまるところ、現状、女性のほうが政治家を目指す者は少なく、あるいは目指しても候補者にまでは、ならない女性のほうが多いのを、無理やり候補者を増やそうとすれば、無理をするのだから、むしろデメリットばかり目立つ。それは、何の格差解消にもつながらない、間違った競争原理でしかないのだ。

一方で最初から選ばれる枠が決まっているなら、あとは候補者を増やすか、増やさないかも、男性と同じ数いる女性たちと共に決めればいいだけだ。

それがわからず、候補者を同じ数だけ増やせばいい(でも、競争=投票)で選ばれるのは一人なら、ほとんどの人間は「安定」を取ろうとする。今まで女性議員が圧倒的に少ない、選ばれる多くが、タレントだとか女優だとか、大学ミスコンあがりの女子アナだとか、あるいは極端に男性社会にフィットした女性が増えるのは、当然だろう。(そしてそれに抵抗するには、とことん過激な女性が増える。そうでないと、格差が変わらないと信じ込んでいるからだ。= つまり、変な横文字でたぶん本人は数冊の本を読んで受け売りしただけで、自分で考えたのでもなんでもない、〇〇〇〇主義だとか、XXXXXストとか、味噌じにーどうこうとか、つけてたら誰かが注目すると思ってる不思議な人たちだ。そりゃお仲間は寄ってくるだろうが)

だが、明らかに政治においては既得権益層男たちが本来の原則、つまり政治権力の公平を、実践するだけで、本当に多くの性差が関係する問題(少なくとも社会が解決できる問題)は、政治的な男女平等が実現した、民主主義の原則にのっとって解決されるだろう。

男にとっても、これは全くもって、ありがたいのである。定数は変えられないなら、無理やりでも男性議員を減らすしかないすべての選挙区で、男女同じ数だけ議員が選ばれる。そして内閣にも、この原則を適用すれば、(元から決まってるので、選ぶのが当然なのだ。どっちが今年は豊作かとか、関係ない。男女が半々だからそうするしかないという、自然の摂理ともいえる)少なくとも政治における性差別など、存在しえないのだ。

そしてそれは、国会議員や、政治権力を今持っている者たちが、少し真面目に努力すれば、簡単に可能だ。そのシステムを定着させるために一時的に税が増えたとしても、私なら賛成する。

小学校でできていた素晴らしいことを、大人になるとやめてしまったのだ。ただの思考停止、退化である。

ちなみに、立憲民主党だって党首二人制(少なくとも、内部的には)であっても、何の問題もない。それこそ立候補者の数なんて関係なくなる。まずは、結果からだろう? それすら思いつけない立憲民主党は、つまらなくて重い古臭い頭の固い政党なんだろう。だから自民党と実際何も変わり映えしない



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