この国のすべての人を、他者の暴力から救うための、様々なアイデアをもっと考えよう
誰でも許せないと怒るであろう、卑怯な性暴力に限らず、どんな暴力でも、どんな性であっても、路上でも飲み屋でも、だれかれ構わず(実際は相手をしっかり見定めてだろうが)喧嘩を吹っ掛ける、ゴリラみたいに低能で、檻に入れておくべきと、私が思う人間でない限り、(いや、ゴリラに失礼か)他者からの暴力なんか、だれも受けたくないだろう。
それが肉体にも精神にも、一生の傷を残す場合もあるのだから、それらの暴力をいかに防ぐかは、おそらく自殺者を減らすことにも少しはつながるし、未成年へのいじめという、ただの凶悪暴力事件とも、当然つながるはずだ。
これを、法律でやると同時に、いかに自衛するか、誰かが暴力事件を起こすのを最小化させれる方法を、もっと社会全体で考えるべきだと思う。
街角のいわゆる監視カメラが、民間であれ公的に設置されたものであれ、不信感も与えるのは、それを悪用する人たちがいるのではないかという恐怖だ。たとえばそれは、隠しカメラ(盗撮)という犯罪行為とも重なってしまう。
ところが、もしもあなたの行動はすべて録画され、場所も正確に記録され、すなわち、もしもあなたに誰かが暴力をふるったら、いつでもその正確なリアルタイムの映像を出せるとしたら、そして絶対に他者を傷つけることも、それを利用されることもない、システムができるとしたら、私たちはそんなシステムを利用したいと考えるんじゃないだろうか?
つまり、管理に絶対に人は介在しない。いかなる他者も、本人の同意がない限り、そのデータを見れないが、当人だけはそれをいつでも提出できる、そんなデータバンクがあって、誰かが事故にあったとき、それが適切で本当に必要な情報だけ公開される、そんなシステムだ。
テクノロジーは、本来正しい目的で使われるべきだ。盗撮につかわれる携帯カメラであってはならないし、盗撮画像をためこむためのアプリであってはならないだろう。
たとえ直接金を生み出すことがなくとも、人類全体に貢献するような、科学の進化と、ツール開発や、その正しい管理こそ、この国の税金も、もっと使われるべきだろう。
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