不思議だ、前に見たことがある【FSレポ②】
日本で「レリゴー」旋風が吹き荒れた2014年。その翌年、株式会社オリエンタルランドは東京ディズニーシーにおける「北欧」テーマの第8テーマポート開発を発表。
あの2015年からかれこれ9年の歳月を経て……東京ディズニーシーの第8テーマポート「ファンタジースプリングス」がついにその門を開いた。
エリア内を歩き回ると、新たな景色が次々に飛び込んでくる……それだけでも最高の経験だっただけでなく、エリア内の各アトラクションはそれぞれの魅力にあふれ、ディズニーテーマパークや東京ディズニーリゾートの歴史に名を残すものであったと思う。またそれだけでなく、このエリアが東京ディズニーシーに新たな価値を吹き込むであろうことは間違いない。
この記事では東京ディズニーシーの新エリア「ファンタジースプリングス」について書いていこうと思う。
今回のテーマは「ピーターパンのネバーランドアドベンチャー」。
いつまでも子供のままでいてね
「美女と野獣」問題
2014年の発表では、向こう10年間の間に約5000億円の投資を行うことが決定していた。その第2弾が「北欧」エリアであり、最終的には「ファンタジースプリングス」として実現したものである。
そして、その第1弾こそ2021年の「ニュー・ファンタジーランド」であった。当初は『ふしぎの国のアリス』の世界観なども交えた大型アップデートが予定されていたが、最終的には「美女と野獣“魔法のものがたり”」をベースに映画『美女と野獣』の世界を東京ディズニーランドに導入するかたちで実現した。
ところがこの「美女と野獣“魔法のものがたり”」が、あまりにもいい加減だった。いや、厳密にはアトラクションのクオリティこそ高かったものの、日本のディズニーファンが求める方向性とは大きく異なるものとなっていたのだ。
筆者も過去に記事にしているが、語り口としては「イマーシブだとか、ゲストが主人公と言った発想はもう古い! ファンタジーランドなのだから、“モノ語り”をやらなくちゃ!」というものになった。
当時、世界各地に「スター・ウォーズ:ライズ・オブ・ザ・レジスタンス」というアトラクションがオープンし、ゲストが主人公となって映画の世界を自由に冒険できるアトラクションがトレンドとなっていた。ところが、「美女と野獣“魔法のものがたり”」は展開も緩やかで間延び感のある演出が目立っていたため、ゲストに「主人公」感を与えることができずにいた。
むしろ「魔法のものがたり」が画期的だったのは、映画『美女と野獣』の音楽をフル尺で聴かせて、しかも音楽に合わせてライドを自在に動かすことで、ゲストをミュージカルシーンの一員にしてしまうことだった。「ひとりぼっちの晩餐会」では皿と共にベルを出迎え、「愛の芽生え」や「美女と野獣」のシーンではベルや野獣のようにダンスを踊ることができる。その中で、ゲストは各々に物語の解釈を見つけ出していく余裕を持つことができるのである。
人々が求めていた「まほもの」とは
そうした点を踏まえ、「ファンタジースプリングス」の各アトラクションは、ゲストが本来求めていた「美女と野獣“魔法のものがたり”」は何かを再考し、調整が重ねられたアトラクションであるように思われる。「ピーターパンのネバーランドアドベンチャー」はまさにその代表格だ。
アトラクションへはネバーランドの巨大な火山の麓から入る。我々はロストキッズの一員となり、ロストキッズの隠れ家である首吊り人の木の下から隠れ家へと忍び込み、ピーターやロストキッズと共にジョンを助ける探検に出る。
アトラクションの見事な点は、ゲストに常に「ネバーランド」という地図の存在を意識させている点である。画面の左に消えていったキャラクターがライドが進むと再び左側から出てくるだとか、アトラクション中盤で登場するネイティブ・アメリカンの村がフック船長との戦いの際に遠景に映り込んだりだとか、そういったことで「ネバーランド上空を飛び回っている」感覚をゲストに与えているのである。
多くのゲストが──そして私自身も──目の前の景色を映画『ピーター・パン』のワンシーンと結びつけるだろう。それは、ロストキッズとして映画の世界に没入するということと当時に──かつて映画を観た子供時代にタイムスリップするということでもある。「ネバーランドへ行きたい」という夢を実現することを通して、そう願っていた子供時代の自分を思い出すことができるのである。
このアトラクションの粋なところは、アトラクションの最後に映画からそのまま抜き出されたかのような「君も飛べるよ」「右から二番目の星」が流れ、モーションシミュレーター技術という妖精の粉で夜のロンドンを飛び回るところである。ここでは、ネバーランドとかロストキッズとかいういわゆる設定を忘れ、ディズニー映画を観て育った幼少期を思い出し、本当の意味で子供に戻ることができる。こうした中で、「いつまでも子供のままでいてね」というピーター・パンの言葉に思わず涙を流さざるを得なくなる。
ピーターはそれでもネバーランドにいつづける
このアトラクションの対象年齢は、主に大人であると思う。
同じエリア内に『アナと雪の女王』『塔の上のラプンツェル』のエリアがあることを考えても、現代の子供達にとって馴染み深いのは明らかにこれらの映画だろう。
映画『ピーター・パン』の最後、ダーリング家の父ジョージは、空に浮かぶ海賊船の形をした雲を見て、幼少期の記憶を思い出す。
小学生の娘が『アナと雪の女王』にハマり、大学生のお姉さんが『塔の上のラプンツェル』が好きだと言っているとき、その親世代はだいたい30代後半〜50代のはずである。彼らは子供の頃に『ピーター・パン』のビデオやDVDを見て育っていたはず。彼らの親(アナ雪世代の祖父母)は60代後半〜80代で、子供の頃にテレビでディズニー映画がかかっていた世代だからである。
このアトラクションに乗って、大人たちは思わず声を上げてしまう。「ずっと昔、小さい頃」に「見たことがある」からだ。そして、涙を流してしまう。「いつまでも子供のままでいてね」とピーターに話しかけられた瞬間、子供の頃を思い出してしまうからである。
ここでいう「子供の頃」とは、何を指しているのだろうか。ネバーランドにおいてそれは、「冒険」と「考えてみよう楽しいこと」に他ならない。それこそ、東京ディズニーシーが大切にしてきた価値観である。
フェルディナンド・マゼランは「世界一周を成し遂げたい」という夢を持った。彼の理想が、東京ディズニーシーでは「マゼランズ」というレストランに表現されている。セオドア・テディ・ルーズヴェルトは20世紀初頭のアメリカ大統領。彼の外交が実ってパナマ運河が完成間近になると、「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」や「S.S.コロンビア・ダイニングルーム」でその偉業が讃えられた。
ところが、「まだ見ぬ世界を旅したい」という欲求は往々にして、ポリティカル・コレクトネスによって駆逐されてしまう。マゼランやコロンブスのような大航海時代の探検家は現地でしばしば問題を起こし、現在でも民族間対立の象徴になっている。テディ・ルーズヴェルト大統領の外交は「棍棒外交」と呼ばれ、客観的に見れば脅しのようにも見える。よく考えたら、ジョンとマイケルが映画『ピーター・パン』で掲げた夢は「インディアンの勇姿を見ること」「海賊とドンパチやり合うこと」であり、あまりにもポリティカルにコレクトだとは言えない。
ひょっとしたらピーター・パンが毛嫌いしている「大人」の世界とはポリティカル・コレクトネスそのものなのではないか? 「大人向け」を標榜してきた東京ディズニーシーって、実際は他のどのテーマパークよりも「子供的な純粋さ」を大切にしてきたんじゃないのか?
だからこそ、このアトラクションや映画『ピーター・パン』のラストを誤読することには危険が孕んでいる。社会規範を跳ねのけ、他人を傷つけても目標を達成することがあたかも正義であるかのように結論づけることができてしまうからである。
ジョージは「前に見たことがある、ずっと昔、小さい頃」と言ったが、別に赤ちゃん返りしたわけではない。人は誰しも大人になる。しかし、心のどこかに子供の頃の純粋さを持っていて、ふとした瞬間にそれが芽吹き、思い出されることがある。映画『ピーター・パン』において、ピーター・パンは正しいことを言っているわけではない。極端に子供なことを言って、また極端に大人な現代人の目を覚まさせるのである。
……と、そういったことを深く考えずに、マゼランたちのように冒険をし、ロストキッズの一員としてバカ騒ぎできるのが、東京ディズニーシーの魅力なのだろう。現代は窮屈だから、時々ピーター・パンに会いに行くことが必要なのだ。
Something Never Change…?
ずっとかわらない(でほしい)もの
「アナとエルサのフローズンジャーニー」の前評判がやけに良かった。
詳しくは以前に書いた記事を参照してほしいが、世界のディズニーパークにある「アナ雪ライド」とは一線を画するアトラクションであることが事前にわかっていて、特に一新されたシーン割りや最新のオーディオ・アニマトロニクスに評価が高まっていた。そして、ボートがスイッチバックして前後に移動することも話題になっていた。
しかし、乗って衝撃を受けたのは、内容でもアニマトロニクスでもなかった。ボートでもなかった。
タイミング調整である。「アナ雪」はタイミングが命だ。