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ディズニーシーロゴ標本④【タワー・オブ・テラー】

東京ディズニーシーのロゴマークの使用例を採集する。第四回は「タワー・オブ・テラー」。ホテル操業時代に用いられたハリソン・ハイタワーの紋章と、このホテルの文化的価値を保護しようとホテルツアーを実施する「ニューヨーク市保存協会」のロゴが入り混じっている。
1899年12月31日、オーナーの失踪により閉鎖された恐怖のホテル──ここで発生しているロゴマーク同士の「縄張り争い」とは?

なお、前回は「S.E.A.」。

ハリソン・ハイタワー

ファザード
柵(内側)
柵(内側)
ファザード
ステンドグラス
シャンデリア
看板(1)
看板(2)
看板(3)
看板(4)
看板(5)
看板(6)
看板(7)
看板(8)
書斎壁紙
額縁
ホテルダイレクトリ
ポスター
ラジャのプール(看板)
ラジャのプール(壁画)
時計
刻印
書斎机
雑誌
ホテルオープン祝賀会のバナー
ホテルオープン祝賀会のメニュー
宿泊者台帳
キューエリアフェンス
トラッシュカン
傘立て

紋章

柱頭(1)
柱頭(2)
ファザード
書斎

ニューヨーク市保存協会

出口
バナー(1)
バナー(2)
バナー(3)
看板(1)
看板(2)
看板(3)
看板(4)
コードリーダー
トラッシュカン

「ハリソン・ハイタワー・ザ・サード」とは誰か?

筆者とタワー・オブ・テラーとの戦いの歴史は長く、過去に何度か独立した記事としているため、ここで改めて紹介する。詳しくは参考にされたい。

「タワー・オブ・テラー」およびアメリカンウォーターフロントの舞台は1912年とされているが、1899年12月31日にハリソン・ハイタワー三世が失踪してから13年の間、様々な人物がホテルを巡って争ってきた。ライバルとなるコーネリアス・エンディコット三世と彼の娘であるベアトリス・ローズ・エンディコット、ハイタワー三世の従者であるアーチボルト・スメルディング……彼らは、ハイタワー三世の亡き(無き)後、彼の解説抜きでホテル・ハイタワーやハイタワーコレクションと向き合い、シリキ・ウトゥンドゥの処遇を決めねばならない。
言い換えれば、ハイタワー三世にとってシリキ・ウトゥンドゥとは何であったか、ハイタワー・コレクションとは何であったかということは、我々には全く分からないのである。それどころか、ハイタワー三世とは一体どんな人物であったかすら、満足に定義し得ない状況にあるのだ!
(中略)
では、「タワー・オブ・テラー」とは一体何だろうか? それは、意味があるともないとも取れるただ「存在」するものを、後世の人々がどう引き継ぐかという選択に他ならないのではないか──否、その逆、意味をどのような形態で引き継いでいくかという「存在」の問題なのであろうか? そのどちらでもないのであろうか?

「タワー・オブ・テラー」とは何か、元ネタ映画を通して考える【随時更新】|TamifuruD(たみふるD)|note

ホテルの中の調度品に模られた「HH」の文字は、ハリソン・ハイタワーの頭文字。
その人物が一体どのような姿形であって、どのような振る舞いをしていたのか、私たちは窺い知ることができない。
ロゴマークの中に残された痕跡から、あれこれ想像するのもまた楽しいだろう。

数々の名脇役

ところで、「タワー・オブ・テラー」には数々のアメリカンウォーターフロント企業の名前が隠れていることにお気づきだろうか?

ニューヨークグローブ通信(新聞社)
グランドバンクス缶詰工場
アスムス・サイン・カンパニー

これらの施設はテーマパーク内の施設ではなく、あくまで装飾である。
ハリソン・ハイタワー三世のライバルとされるコーネリアス・エンディコット三世の「ドックサイドダイナー」とは大違いである(それぞれの写真には、東京ディズニーシー内の施設名が書かれた木箱がある)。

グランドバンクス缶詰工場
アーント・ペグズ・ヴィレッジストア
ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ

鮮烈な印象を与える「ホテル・ハイタワー」と「ニューヨーク市保存協会」。
これらの組織が掲げるロゴマークはむしろ、アメリカンウォーターフロントのどこにもなく、ただ「タワー・オブ・テラー」のみに存在するのである。

物語を表現するロゴマーク

では、これらのロゴマークの真髄は何か?
それは、このロゴマークの用いられ方にあると思われる。

ホテル・ハイタワーの歴史を簡単に見ていくと以下のようになる。
1892年にオープンしたこのホテルに、ハリソン・ハイタワー三世は世界中から収集した芸術品を集めて展示している。彼はホテルの創立前から東アジア、中東、南米、東南アジアなどの国々を旅していた。ホテルのオープン後もアメリカ各地をはじめ様々な国と地域を訪れていたとされ、ロビーにはその探検の様子が描かれている。
1899年12月31日、彼はアフリカ遠征で手に入れたシリキ・ウトゥンドゥと呼ばれる偶像を公開。記者会見では「呪いの偶像」と呼ばれたそれを「馬鹿馬鹿しい」と一蹴し、その日の夜、エレベーターで最上階の自室へ向かう途中で謎の失踪を遂げてしまう。
その後ホテルは閉鎖され、恐怖のホテル=「タワー・オブ・テラー」と呼ばれるようになった。取り壊しの計画を阻止したのがベアトリス・ローズ・エンディコットという女性である。彼女が設立したニューヨーク市保存協会が1912年にホテルツアーを敢行、我々はそれに参加する。
(中略)
ここで注意する必要があるのは、「ホテル・ハイタワー」を「ニューヨーク市保存協会」が「保護」するという各々のスタンス、そして時系列的な関係である。前者は収集した美術品を乱雑に管理する粗野な組織であり、またホテルは守られる対照であるため、金属やガラスといった硬質なものに施されたデザインが多い。他方で後者は、ホテルを傷つけないよう後天的かつ慎重に事を運ぶことになるから、取り外しが容易なものが多いと言える。

ディズニーシーのロゴが教えてくれる「セカイとワタシ」|TamifuruD(たみふるD)|note

ホテルを保護しようと企む「ニューヨーク市保存協会」が、このアトラクションの物語体験を多層化させていると言える。
ホテル内に主に登場する二つの組織は、どこにその意匠を発露するかによって争っているようにも見える。

二つの組織が活動した証を、ロゴマークは切実に表現している。
他とは全く異なるディズニーのロゴマークの活躍を、ここでは見ることができるのだ。

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