ハイタワー三世に会いに【ディズニーシーレポ】
2022年7月13日(水)、インターン先の会社のミーティングが突如中止となったので、すぐさまチケットを購入して東京ディズニーシーへ向かいました。
私はその一週間前、7月7日に20歳となり、古い価値観で言えば「成人」、酒煙草ギャンブルに手を出しても咎めてくれる人は誰もいないという状況になったのでした。
はじめて行く、大人のディズニーシー……。結果から言うとこのディズニーシー、地獄でした( #どう考えても伝わらないバカリズムネタ)。
まあ地獄でした。私はパーク閉園時間の一時間前に退園という事態を生じました。これ、せいぜい1時間程度じゃんかと多くの方にはその異常性が伝わらないと思うのですが、次の二点でそのことを説明したいと思います。
第一、私は普段、東京ディズニーシーに行けば21時の閉園までぴったり楽しみたいし、21時に最後のアトラクションに入って退園するのは21時30分……などということもあります。もちろん、がんばって居座ってるわけじゃなくて、キャストさんと話が弾んでとかそういう場合ですけれどもね。
第二、かつて120分の待ち時間を叩き出す人気アトラクション、その日のピークでは50分を記録していた「センター・オブ・ジ・アース」や「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」が軒並み5〜10分待ちの中、それを蹴ってまで20時退園することとなったのです。
ただ、褒めた話ではありません。繰り返したとおり、まあ地獄でした。そこにあったのは圧倒的な無力感と敗北であったのです。
今回は「ハイタワー三世に会いに」と題して、TamifuruDの東京ディズニーシー旅の様子をお送りします。
朝
朝、ジョージア・ジャパンクラフトマンを手にした私は最寄りの駅を発ちました。このときはまだ、東京ディズニーシーでの旅に期待感が募り、今日の一日を想像していました。
問題となるのは「成人後最初のアトラクションは何か」、です。
朝一番といえば通例、ディズニーシーで一番人気の「ソアリン:ファンタスティック・フライト」に乗ることが多いですが、言うなればこのアトラクションは2019年登場の新参者です。やはり、親しみがあり、しかし同時に新たな門出に相応しいアトラクションを選ぶべきでした。「タワー・オブ・テラー」「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」も考えましたが、私にとって大きな存在なのはやはり「センター・オブ・ジ・アース」と「海底2万マイル」でした。そして最終的には、「センター・オブ・ジ・アース」を目指すことで決定しました。
また、「レイジングスピリッツ」も欠かせません。私は個人的な取り組みとして「年間パスポートを買うまで大型アトラクションを一つ乗らないで残しておく」を実施しており、年間パスポートの販売が中断してからは「成人するまで」に変更して続けておりました。東京ディズニーシーにおけるその枠が「レイジングスピリッツ」だったのです。
そして何より、酒が飲めるというのは東京ディズニーシーの最大の利点ですから、とても楽しみにしていました。何を飲もうかなということであれこれメニュー表を見ながら、そこまで強くないかつ量が少ないものをと考えて選んでいました。
さて、エントランスに到着したのはちょうど7時くらいでした。前から5人目くらい。私は既に数々の失敗に気が付きます。いや、それぞれは些細なことなんです。新しい靴下に変えたら靴擦れがひどいとか、前日食べたカレーがお腹に当たったとか……。
それに加えて新たな目標がありました。「誕生日プレゼント」です。
いや、交際相手にプレゼントを買うという経験があまりにも希薄だったんです。誕生日プレゼント、センスのあるものが買える自信は全くありませんでしたから、少なくとも見識のあるディズニーリゾート内で選んでおこうというのがありました。エントランスでちょっとそろばんをはじきながら、ああ、こりゃだめだ……「ATMに行きます」。
は? いや、マジで行きます。つまり、20代最初のインパーク、目標は「ATM→トイレ」です。前から5人目なのに、ですよ。
ネモ船長に会いに
開園後、ATMとお手洗いに走り(歩きました)、気を取り直して園内へ。
「センター・オブ・ジ・アース」が近づいてきたあたりで気が付いたのですが、8時40分現在、「海底2万マイル」に誰も並んでいないではありませんか!
この日のファーストゲストとしてエントランスに並びました。「海底2万マイル」、よく考えたら初めて一人で乗ったアトラクションだった気がします。運命的ですね。
運命的なのはそれだけではありません。私が20歳のときと東京ディズニーシーの20周年がちょうど重なったのも偶然です。かつ、「海底2万マイル」の英語表記は“20,000 Leagues Under the Sea”、二万という数字は英語でTwenty Thouthandすなわち二十千と表すわけですから、これも20なんですね。
アトラクション入り口ではキャストさんとお話しする機会にも恵まれ、お誕生日シールももらえてご満悦、無事005番の潜水艇に乗ってまいりました。
その後は「センター・オブ・ジ・アース」に入り、やはりここでも感動。
繰り返し申し上げている通り、「センター・オブ・ジ・アース」の感動というのはそのセラピー効果にあります。「私の全く知らない世界が存在し、そこでは動物たちが楽しく暮らしている」というのは一見ファンタジーのようですが、「私が全てを背負い切らなくて良い」という安心感を与えてくれます。ひとつひとつリアルな生き物たちに見守られた地底探検、最後の落下こそありますが、命の堂々とした力を感じてやはり好きです。
ザンビーニ三兄弟に会いに
さて、その後私はとある岐路に立たされていました。現在は午前10時で、ちょうど12時に「リストランテ・ディ・カナレット」の予約が入っています。「ソアリン:ファンタスティック・フライト」にスタンバイしたり、「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」に入ったり、はたまたスーベニアメダルを集めたりと、メディテレーニアンハーバーのイベントは目白押しです。
裏路地で文字通り右往左往しながら考えた結果……いろはす500mlを買って……
「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」は、メディテレーニアンハーバーのザンビーニ三兄弟が設立したレストランであり、元はワイナリーでした。建物の前には葡萄畑があるし、周辺の噴水やトレーにまで葡萄の図柄があしらってある。
いやあ、だからね、なんかどうでもいいところでガブガブビールを飲むのとは違うわけですよ(熱量)。
ということでそのまま「ソアリン:ファンタスティック・フライト」にスタンバイ。ドリームフライヤー(意味深)でボン・ビアッジョ(意味深)してきます。
このファンタスティック・フライト・ミュージアム、何がいいといえば、イタリアの田園風景がありありと浮かんでくるところではないでしょうか。「プーさんのハニーハント」がイギリスの田舎の納屋をモチーフとしているのとは対照的に、こちらは開けた土地にポツポツと建屋が並んでいそうな、ローマ帝国の“じゃない方”みたいな空気です。(『トスカーナの休日』では「不気味」だと言われていた)縦長の木々の手入れがきちんとしており、遠くに円形広場の遺跡が……。ザンビーニ家の人間がここの土地の権利者であることも有名です。
ここで空が曇りから晴れに変わったのもうれしいポイントでした。美しい田舎の風景は、そのまま「リストランテ・ディ・カナレット」へと続いていきます。
カナレットに会いに
ここでちょっと思ったんですけど、「えっと、なんだろうな、この美しい景色を一人で独占するのやめてもらっていいっすか?笑」
というのもですね、私、この時点で既に、一人で来たかったはずにも関わらず、一人で在ることに途方もない虚しさを感じていたんですよね。今年の3月に一人で来て以来、累計して6回は東京ディズニーシーに(そして1回は東京ディズニーランドに)来ていますが、すべて人と一緒に来たのでした。それは大学の友人、SNSのフォロワー、恋人とまあ色々な人と来たのでした。
元来の私であれば、そら当然、イライラしながらまわることになると思います。ですがしかし、彼らは私の趣味を承知で共に遊んでくれ、共にアトラクションの待機列に居座り、共に同じアトラクションに何度も乗ってくれた人です(特に、恋人でそれを許容してもらえるってのは非常にかけがえのない事実なわけです)。
じゃあなんで一人で来とるんやということですよ。
いや、一人で来たいから来たはずなんですけれどもね、本質的には「今日は俺のやりたい研究やらせろよー!」と思って来てるわけです。ところが、周囲を見渡してみると、なんか一人で来ててテーブルマナーのめちゃくちゃ杜撰なDオタとか、一人で来て不味そうに食ってそそくさ出て行くDオタとか、そういう人が目についてしまい、「自分の欲求に乗せて行動するとこうもつらく映るのか」と怯えてしまいました。
「リストランテ・ディ・カナレット」は、それだけで記事を立項するくらいには好きなレストランですが、やはりどうも馴染めない。「カナレットに馴染めない」というのは「ディズニーシー」に馴染めないことの暗喩でもあります。不覚にも居心地の悪さを感じたもので、晴れ空には暗雲が立ち込めていました。
インディアナ・ジョーンズに会いに
ここから、トランジットスチーマーラインを利用して「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」へ向かいます。
貸し切りました。怖かったです。以上。
もちろんこれもメインイベントなんですが、今回は初めての「レイジングスピリッツ」に乗車というのがあったわけです。
「レイジングスピリッツ」、いや〜〜〜これはどうなんでしょうか。
正直複雑な気持ちではありました。「ビッグサンダー・マウンテン」と「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」の子供だと思うのですが、実態「フランダーのフライングフィッシュコースター」の味変なんですよね。独特のケレン味があってこれはこれで好きかもしれないですが、いやーインディアナ博士の神殿の隣に並べるのは酷ではないかとも思う。
フォロワーに会いに
Twitterのフォロワーに遭遇しました。偶然。ここで急に「ツイッタラー仕草」みたいなのが発動し、情緒でまわるというよりはBGSとかパークの方にぐぐっと引き寄せられました。楽しかったです。
ハイタワー三世に会いに
ニモに会いました。「私も今、乗ってきました。本当に魚と一緒に泳いだのです。本当に信じられないです」
少しややこしい話をします。「ニモ&フレンズ・シーライダー」はポートディスカバリーというエリアにあって、この港の成り立ちに深く関わっていた「ストームライダー」をわざわざクローズし、そこのテナントに後から入って来ました。なので、「ストームライダー」ファンからの厳しい目に晒され、必要以上に不人気アトラクションとしての烙印を押されがちです。そこで、私はこの「シーライダー」のよいところを広めようと密かにそこそこ頑張っているのですが、今回はディスります。
というのも、今回の東京ディズニーシー旅の虚しさと深く繋がりがあるからです。「シーライダー」はいわゆる「フライトシミュレーター」の仕組みです。映像に合わせて、映画館の劇場自体がシェイクされる方式ですね。これが問題なんです。
これ、東京ディズニーランドにある「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」は1台40人乗りが6台あるんですよ。部屋が小さいので、激しい動きもできるし小回りもできる。他方、「ストームライダー」は122人乗りが2台です。何故かというと、部屋前方のスクリーン以外にも部屋全体を見せる演出がなされるからであると推測できます(これが「ストームライダー」人気が根強い理由の一つでしょう)。
で、「シーライダー」は「ストームライダー」を元にしているので、部屋がクソでかいんですよ。ところが、この「部屋全体を見せる演出」がほとんどカットされてしまいました。ちょっとはあるけどね。しかも、東京ディズニーシーオリジナルの物語が廃されピクサー映画の世界に置き換わった結果、ライドの動きもマイルドです。
で、話は最初に戻るんですけれど、とにかく「虚しい」んですよね。クソでかい部屋に安置されてシートベルトつけられて、5分間ぼーっとするみたいになり易いです。会場と映像の一体感が見事にない。浮いた気持ちになります。東京ディズニーシーで全員楽しめているのに(その多くはファミリーやカップル、友達同士です)、私だけ独りボケーっとしている。そういう事実に気付かされました。
さて、浮いた気持ちでここから「ニューヨーク・デリ」に向かいます。
レストランに入るとだめみたいなんですよね、「リストランテ・ディ・カナレット」での困り方を再びやってしまいました。
誰もいないテラスでニューヨークの街並みを眺めながら……というのは本来かなり好きなシチュエーションのはずなのですが、ちょっとうまくいきませんでした。
そこから更に「タワー・オブ・テラー」に乗ります。もう、気持ちはダダ下がりです。
ハリソン・ハイタワー三世は、大富豪で探検家でありながら、何者も信用することなく独りで経済界を戦っていました。大衆に開かれたホテルでありながらハイタワー三世の部屋は最上階にあります。そこにシリキ・ウトゥンドゥを運ぼうとエレベーターに乗り込んだきり、行方不明となってしまったのです。過去に閲覧できた動画では、助手のアーチボルト・スメルディングを静止してまで、独りで自室に向かおうとしていました。
思うに、これこそ、人間が往々にして陥りがちな現代病のひとつではないでしょうか。
独りで全てをなすことで、自分を大きく強く見せることができる、そのことが社会では有利に働きます。成果を独り占めでき、自信もつく──しかし、独りでできることは大概です。
そういった意味で、私は、独りでいることに甘んじていたのではないかと感じました。ホテル・ハイタワーを前に、私はただ無力であるしかなかったのでした。
翻って、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」はそうではありません。
カメリア・ファルコが行っていたのは、世界中の人々の夢を、世界中の人々と共に叶えようという活動でありました。正に、ハリソン・ハイタワー三世と対照的なその考え方。「ソアリン:ファンタスティック・フライト」とは、ハリソン・ハイタワー三世のように、自責と成長に取り憑かれた人々に対して、「協調」を処方します。
ハイタワー三世と別れる
結果、「ソアリン」に乗った後で私はいつもより早くパークを出ました。
もちろん、カメリア・ファルコには夢があり、それは非常に個人的なものでした。夢を追いかけることを一切否定はしていない、否、寧ろ肯定しています(ディズニーパークとはもとよりそういうものなわけですが)。
友人、恋人とディズニーパークに来るということは、ひょっとしてそういう意味があるのではないでしょうか。
無論、これが、当初ウォルト・ディズニーの思い描いた「ファミリー・エンターテイメント」からかけ離れているのは百も承知です。ファミリー・エンターテイメントでは、大人が子供の夢を叶えるのに、そして大人が童心に還って、まだ叶えていなかった夢を思い出すのに、ディズニーパークが力を貸しています。
ただ、東京ディズニーリゾートは、友達やカップルと訪れる、より多様化した「夢が叶う場所」となっています。夢を追いかけるのに自分の力だけではどうにもならない、そう思った時、ディズニーパークは道を示してくれる。自らの夢を叶えるその瞬間、隣にいてくれる人がいる。そのことを実感するためには、心の中にいるハリソン・ハイタワー三世に別れを告げるべきなのでしょう。
これから先、私はどうすればよいのでしょうか?
もちろん、noteは続けますしSNSも続けます。今の私にできることといえば、ただこうして文章を書き、それによって一人でも多くの方の考え方や世界観に多様性を与えることだと考えています。些か仰々しいですが……。
それが、私が、私の属するコミュニティの人々と繋がる距離感の一つ。離れすぎない程度に、これからも繋がっていたいと考えています。