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アンチパリピとコロナと銃弾

コロナ禍になって慄いた事がある。

人の命を奪うという恐怖、目に見えない恐怖、withコロナというワードは我々の生活を一変させた。しかし、今回はその話は一旦置いておこう。

私住んでいるのような田舎では感染者が数日間どこに立ち寄ったのち、感染が発覚のか、症状等を事細かにニュースで放映される。感染者は体調不良の中、二週間前の記憶を事細かに覚えており、あまつさえ発熱状態をおして友人と遊びに行っているという。

三日前の晩飯がなにかさえ覚えていない私はニュースを見ながら、その記憶力と是が非でも人生を謳歌しようとする精神力にとにかく戦慄した。
パリピしか罹らない病気なんじゃなかろうか?

巷では自粛で暇的な話をよく聞くが、私の場合寧ろテレワークになった引け目でいつも以上にの成果をあげねばと躍起になった。GOTOなんて悪い冗談だと思っていたら、先日同僚が沖縄にGOTOした。ああ、奴はパリピ違いない。

どこにも行けない私はただただoculusで射的の腕をメキメキと上げた。別に上げようと思ったわけではないのだが、ノーリスクなストレス発散法を選択した結果、ジョン・ウィック化したのである。「アンチヒーロー」ならぬ「アンチパリピ」だ。おかげで今のところコロナに罹らずにすんでいるが、ジョン・ウィック化した時の私は特に犬を殺されたわけでもないのにいつも怒っている。そういう意味では「人間的健康的生活」とは真逆の、不健康ではないにしろ「非・健康的」な生活を送っている気がする。なんというパラドックス。

コロナとは健全な魂を持った、パリピなひとが人生を謳歌した結果、罹患する病だとしたら、私はその病に一生かかることはないだろう。
しかし、私の「性格」という名の病は非一過性のもので、長い時間をかけて知らず知らずのうちに進行していく。そして、じわじわとこの病の根を張った腕はコントローラ越しにゾンビの頭を撃ち抜く。

アンチパリピの精鋭の同志たちよ、各々謳歌せよ。たとえ一昨日の夕飯が思い出せなくても。そして「コロナの襲来-WAVE3」を難なく生き残るのだ。

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