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ディスタンス#6【連載11−6】

  正月も三元日を過ぎた頃、当時流行していた三角くじを巡る出来事があった。正月になると、この頃神社の境内で三角くじが売られていた。正式な国の宝くじは別にあって、そちらは一枚50円、一等は100万円だった。戦後の物価高が急激に進み、当時の闇米一升はこの二年で20倍になり1400円。国産自動車が20万円になっていた。神社のくじは正式なものではなく、テキ屋がやっている屋台の一つだった。一枚10円。一等は20万円だった。三角くじは安価でその場で開いて結果がすぐわかるし、お金も貰えた。年頭の運試しに、多くの人が三角くじを買っていた。しばらくその結果に盛り上がっていたが、いくらやってもはずればかりで当たりが出る気配がない。五等の千円すらほとんどでてこない。三角くじが外れたものは、誰が当たるのだろうとその場から離れずに見ているようになった。そしてそのうちに皆なにかおかしいという気になってきた。スンギもそんな様子を少し離れて総連青年部の何人かと見ていた。

「おい、このくじおかしくないか。さっきからちっとも当たりがでないじゃないか。

俺はずっと見てるけど、ほとんど誰も当たっちゃいないぞ」

外れくじを引いたものがグズグズ言い始めた。一人が言うと他のものからもあちこちで文句が出始めた。

「なんだと。そこのおまえ。おまえに運がないだけだろ。ちゃんとしたくじだ。いいがかりつけるんじゃないぞ。俺を誰だと思っている。えっ、おい、こら、こっちへきやがれ!」

相手はテキ屋で、仲間もいかにもその筋らしい強面がやってきて、騒いだ者を取り囲んで睨みすごんでいる。今まで騒いでいたものは、一瞬にして押し黙った。スンギはそれを見ていてなんだか腹が立ち、仲間が止めるのもきかずに、騒ぎの渦中に向かい、さらに前へ出てこう言った。

「おまえら、それ本当におかしいんじゃないか? さっきから俺も見ていたが、俺が見始めてからもまだ当たりがでてないぞ。いくらなんでも変じゃないか」

高岡に住んでから朝鮮総連で自信をつけ、愚連隊ともつるんでおり、いっぱしのいい若い衆になった気でいたスンギは、そう言ってテキ屋達のほうに向かう。

「おまえは関係ないだろう?朝鮮人が横から余計なこと言うんじゃない。おまえらの国とはやり方も違うんだよ」

とニヤついて言われた。この一言でスンギは、

「なにー、おまえ何言ってる。三角くじに日本人も朝鮮人も関係ないだろう。言いがかりをつけるんじゃない。よし、俺が残りのくじを全部買ってやるよ。いいだろう?いくらだ。この中に必ず当たりがあるはずだよな。んっ。そうだろ。一個もないとは言わせないぞ。おまえらさっきから、まだまだ当たりはこの中にあるって言って売ってたよな」

そういうと、ふところに持っていた金をテキ屋にぶちまけた。スンギが正月にみんなに配る予定だったお年玉で五万円近くあっただろう。テキ屋の前にある三角くじの箱をもぎ取ると、ひっくり返して、三角くじを全部箱から出した。くじは一〇〇枚ぐらいあった。

「おい、そこのおまえ。ああ、お前だ。一緒にくじを開けてくれ。おまえらも知りたいだろう。ここで開けるぞ」

そういって次々にくじを開いていった。周りにいてくじに外れた者達も一緒にくじを開けていった。のこり10枚、当たりはほとんどない。五等が2〜3個あったきりだった。最後の一枚を開く。

「ほらよく見てみろ。当たりはあるか? ないじゃないか。おまえら俺たちを騙して金を巻き上げるつもりだったんだな」

そういってテキ屋のほうを向くと、テキ屋はすでに逃げ出して走っていた。

「ああ、こんなに胸のすくような気持ちは久しぶりだよ、兄さんありがとう」

「あんた、凄いな」

「お兄さん、ほれぼれするねー」

一部始終を見ていた町の人達は、開けたくじを拾い紙吹雪のように投げあげたり、拍手をしたり、歓声をあげたりとこの行為に大喝采だった。スンギは喜ばれて褒められた気持ちの良さと、自分の力の強さと、それを誇示した心地良さを味わっていた。

 朝鮮総連青年部の中でこの話はあっという間に拡がり、スンギはさらに組織の中で信用され力をつけていった。力を持つ者には良くも悪くもいろんなやからがはりついてくる。昔からスンギを知っている者達はその危うさを遠巻きに見ていたり意見したりしていたが、スンギはまったく意に介することはなかった。いままででこんなに楽しいことはない。善悪の区別もあやふやになっていった。その中を嬉々として闊歩していた。当初の英語学習も、少し通っただけでやめてしまった。金儲けは勉強より何倍も面白くて刺激的だった。誰もが自分に媚びへつらってきた。さらには評判を聞き、高岡で「渡りの安」と異名をとったヤクザの親分に客分と持ち上げられて、スンギはすっかり大物になった気になっていた。権力とお金が人を変えていくとわかってはいても、もはや良心の警鐘を持続させることは、スンギには出来なかった。取り巻きは無尽蔵に膨らんでいった。叔父はそんな姿を苦々しく思い、たまに意見を言ってはくるが、ちっとも堪えなかった。

 高岡の駅前はバラックのような闇市がいつのまにか商店街の体裁をなし始めていた。スンギも復興の勢いに便乗して警察担当者を上手く丸め込み、ヤミの賭場を開いた。賭けで負けたものがたまに騒ぎだし大事になると、警察から連絡がきて、少しの間なりを潜める。ほとぼりが冷めるとまた違う場所に賭場を開く、その繰り返しで手元にはかなりの金が集まってきていた。だからスンギの前にはその金をどうにか引き出してひと儲けしようという者達がひっきりなしに会いたいと訪れていた。

 ある日弟分の一人が

「兄貴、兄貴と話をしたいっていう同胞のやつがいるんすけど、会ってもらえますか?前から一度話したいってずっとうるさく言われてて。」

「今度はどんなやつだ?」

スンギにとってこんな話は日常茶飯事だったので、最初から興味のないことはあまり取りあわないことにしていた。

「韓国京城出身の両班(朝鮮の良家)で李氏、日本名は及川という人です。とにかく一度会わせてくれって、しつこい、しつこい。もし少しでも暇があったら会ってもらえませんすか?そこの娘がまた凄い美人らしいっすよ」

「商売の話なんだな。まあ、両班が俺に会いたいって言うのは面白そうだな。それにお前の顔もあるし。いいぞ、いまあまり忙しくないから、一度くらいあってやっても」

「本当ですか?いつ頃なら良いすか? すぐに伝えてきます」

壁に掛けてあるメモ代わりのカレンダーを見て、

「そうだな、明後日の夕方なら時間がとれそうだ。ここに連れてこられるか?」

「わかりました。俺に任せてください。じゃ、すぐに及川に伝えてきます。兄貴ありがとうございます」

「ああ、わかった」

というとカレンダーのその日に夕方・及川と書いた。退屈しのぎにはいい、カレンダーを見ながらそう思った。

ディスタンス#7に続く

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