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【短編】つくる、紡ぐ、動きだす


朱色、若草色、藍色。
古代から、この自然界にある、美しい色たち。
糸を紡ぎ、満月の夜露にあてる。
新月の日に、私は編み出すのだ。
ひと針ひと針を、ゆっくりと、時間をかける。

時間の概念は、もうない。
あるのは、宇宙のリズムと私のからだだけ。
これを同期させると、思いもつかないような、模様が生み出される。

きょうも、あすも、丁寧に、こつこつと。
宇宙と、糸と、向き合う。
やがてそれは、ものがたりのように、動き出す。
私は糸と出会う。
踊るように。
育む。

まるで、ひとりの人間を育てているかのように。
糸が勝手に動き出す。
自由に動き出す。
私は必死で指を動かして、糸についていく。
庭先で、猫のみかんが、にゃあ、と静かに鳴く。
真っ黒い毛並みは、光沢があり日に照らされると、いっそう美しく見えるのだ。
みかんはただ気持ち良さそうに、その場でくつろいでいる。

秋風に乗って、とんぼが舞っている。
ぎんやんま、だった。
くるくると舞う姿は、どんな有名な踊り子よりも、自由で美しい。
やがてもう一匹が合流し、彼らは歓喜しているかのように、舞い続けるのであった。

「お茶でもどう?」
朱実さんが、急須と湯飲みを盆に乗せて、縁側にやってきた。
朱実さんとは、かれこれ十年の付き合いだ。
結婚はしていないが、一緒に暮らしている。

丁寧にお茶を注ぎ、どうぞ、と、優しく湯飲みを置く朱実さんの右手は、とても透き通って艶があり、指一本一本が長い。
自分の手を見ると、指は短く、厚みがあり、ごつごつとしたお百姓さんの手のようだった。

誰かが言っていた。
手の形を見れば、先祖がどういう暮らしをしてきたのかが、わかる、と。
言葉を交わすわけでもなく、朱実さんとこうして、縁側で静かにお茶を飲む時間が好きだ。
朱実さんの淹れてくれるお茶は、いつだって渋みの中に甘さがある。
それは、誰かの固くなった心を溶かす、甘さだ。

秋が終わり、この村に厳しい冬が到来するころ、朱実さんは遠く離れた街へ出稼ぎに出る。
春近くまで、しばらく帰ってこない。
私が最も嫌いで、身も心も寒い時期だ。

「じゃあ、行ってくるね」
帽子を深々とかぶり、朱実さんは目を細めて微笑んだ。
その顔を見る度に、私は安心感に包まれるのだった。
白いハイエースが見えなくなるまで、見送った。

庭の梅の木に、小鳥がとまり始めたとき、ついに、数ヶ月編み続けていた作品が仕上がった。

雨がぽつぽつと降る音、雪がしんしんと積もる音、嵐の知らせのような風の音を聴きながら、朱実さんに想いを馳せ、それは出来上がったのだ。

愛おしさで、胸の奥が、きゅう、と鳴る。
まるで、人間の子を産んだようだった。
十月十日、お腹で育み、やっと出会えた瞬間とは、こんなにも愛おしい気持ちになるのか、と思った。

一番日の当たる縁側で、みかんが、あくびをしている。
こちらをちらりと見て、また体を丸めてくつろぐのであった。

遠くから、車の音がする。
私は急いでつっかけを履いて、玄関を飛び出す。
白いハイエースがゆっくりと家の前で止まった。

ゆっくりと車から出てきた朱実さんは、少し痩せているようにも見えたけれど、相変わらず、目を細めて笑う顔は優しい。

「おかえり!」
「ただいま」
「朱実さん、とうとう出来上がったの、ついさっきよ!」
荷物を運びながら、朱実さんは驚いた顔をした。
「もう?ついに?」
私は飛び上がるほどの喜びを抑えて、作品を広げて見せた。

朱実さんは真っ直ぐな目でじっと見つめ、そして目を細めて笑った。

「おめでとう!」

私は安堵感とともに、嬉し涙がこぼれ落ちた。

人生で、はじめて、嬉しくて、泣いた。

愛する人が側にいる喜び、
育むように生み出せた作品。

私の世界は、間違いなく、愛で満ち溢れている。

みかんがそろりと朱実さんの足元まで歩いていき、小さく、にゃあ、と鳴いた。
朱実さんはみかんを抱き抱える。

私はその光景を見ながら、台所でお茶をゆっくり、丁寧に淹れた。

見ると、湯飲みの中で茶柱が立っていた。





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たみい
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