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『むしろ、考える家事』山崎ナオコーラ/社会を作る
山崎ナオコーラの『むしろ、考える家事』というエッセイ本を読んだ。
夫が仕事メイン、妻が家事・育児メインという日常生活において、山崎さんが考える家事についての独自の視点が楽しめる内容だ。
私は、家事をするときに心をゼロにするのをやめた。「むしろ、考えてやる」と決めた。
『つくろいもので癒される』という章では、うつうつとした日々を癒してくれた編み物や縫い物について書かれている。
手を動かしていると、考えが暗い方向から離れる。
スポーツみたいに「前向きに、明るく」という思考までにはならないが、手の規則的な動きによって、一時間前まで「なんであのとき、ああしてしまったんだろう」「苦しい、つらい」ということで埋め尽くされていた頭が整えられ、「俯瞰すれば、あの行動と結果に因果関係はない」「苦しいままでも、生きていける」と癒されていく。
徹底的に家事を、つらくないように、時短することに神経を注いだ山崎さんは、結果的に短縮はできてもゼロにはならないという現実に気づき、家事をやっていない人に対して「ずるいな」という感情が湧いてきたのだという。
日本に暮らす外国人を紹介する番組を思い出した。スリランカ出身の奥さんが、関東の田舎町に嫁ぎ、毎朝5時くらいから二層式の洗濯機を回し、嬉しそうに眺める。「スリランカにいるときは、全部手洗いだったんです、でもここでは洗濯機が全部してくれる、すごいなあって。毎日感動します」掃除機をかけるときも、鼻歌を歌いながら楽しそうに家事をする姿がすごくクリエイティブに見えた。
便利な電化製品が家事を楽にしてくれ、家事代行なるサービスも登場し、どんどん働きに出かけたい人たちは物理的に助かる。
では昔のように全部手作業で家事をこなし、一日が終わるというサイクルは無駄なのだろうか?
梅仕事や、味噌づくりなどをして気がついた。お金を出せば買えるものだが、手間暇かけて作り、熟成するまで、待つ、その工程が心を穏やかに、「生活をしている」と言う気分にならせてくれるのだ。
家事がめんどくさいと感じる理由は「作業になっている」ことに多い。作業は心を充足させてくれない。
家事は、社会作りだ。
目の前のタスクが多過ぎて、近くしか見えなくなってしまうときもあるが、本来の家事は遠くにつながっているはずだ。
今は「大変だ」「無意味だ」「えらい人の仕事とは違うくだらないことをやっている」と思っても、あとあと大きなことだったと気づくだろう。
遠回りのようでも、予定通りでなくても、「道」は社会へ繋がっている。
これからは、仕事よりも家事の時代だ。未来では、多くの職業がなくなって、給料がなくなり、ベーシックインカムが導入され、ついでにキャッシュレスが進み、金のイメージが変わるかもしれない。そのあとには、「人間らしさ」が問われるだろう。思索が重要になる。
家の中で手を動かしながら、私たちは「人間らしさ」を極めるのだ。
生活をするということは、楽しいこともめんどくさいこともひっくるめて関わり合うことだ。AIが代りに全部それをやってくれたら、全て満たされるだろうか?日々めんどくさいなあと舌打ちしながらでも、適当に自分の楽しみの時間をやりくりすれば、なおよしだとわたしは思っている。
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