他者に迷惑をかけることに遠慮しないこと
昨日夫がハイエースに太鼓を積み込んで、亡くなったミュージシャン仲間のイベントに参加するため出かけていった。
一般的には故人を偲ぶ会となるのだろうが、音楽仲間が集まればしんみりとしたものでなく、みんなで演奏して楽しむ会となるのだ。
動画を少し見せてもらったら、顔馴染みの人が楽器を持ち、演奏し、歌を歌い、踊りを踊り、ラテンの陽気なムードに包まれている。非常にめでたい。故人も天国でたいそう喜んでるに違いないし、奥さんも楽しげに歌って踊っていた。音楽という非言語コミュニケーションはすばらしい、国とか人種とか関係なく繋がれるのだから。音楽葬もいいなと思った。しんみりされるより、笑って歌って踊ってほしい。そのほうがぜったいに楽しい。
夫が知り合いに「たみいちゃん元気?」と聞かれたらしく、あれ?会ったことあるっけ?と思ったらしいが、わたしは覚えている。もう何年も前に我が家に泊まりにきたふたりを。夫とイベントに参加後、終電がなくなり急遽うちに泊まることになったのだ。そのとき初めましてで向かい入れたのだが、彼女たちのナチュラルな滞在感に少し衝撃を受けた。もう、何年も前からうちに住んでるような落ち着きっぷりで、お客さんが泊まりに来た、というよりは、家族が急に増えた、みたいな感覚。(ふたりとも私より上の世代のお姉さま方だ)彼女たちは居間のこたつでくつろぎ、朝ごはんを一緒に食べ、またくつろいで、当時まだ少し若かったわたしはそのお客さま感ゼロにたじろいで、え、これからずっと住む感じなのか?と思ったくらいだ。幼児だった息子も、ナチュラルに受け入れいつもと変わらず過ごしている。オープンハートな人たちなので、全然嫌ではなかったが、この日本人的感覚じゃない感じはなんなんだろう?と思って、ある記事を読んで、あ、思った。
マリ共和国出身で、京都精華大学学長のウスビ・サコさんの本に語られていた。
この感じ・・・そうやん!つまり、我が家に泊まったお姉さま方は日本人というより、マリ人的感覚に近いのだ。
それは大きな意味で他人との境界線がなく、大きな家族みたいに捉えられる感覚で、迷惑をかけてはいけない文化の日本より、そちらの方が自然な生き方なんじゃないかと思った。
我が家にたくさんくる息子の友だちたちも、最初は遠慮がちの子もいたが、慣れてきて家みたいに寝転がってくつろいでる。その方がうれしい。
その遠慮しない姿勢というのは、その家に対して安心して心を開いているということでもあり、他者との境界線なく繋がってる、ということでもある。