見出し画像

彼が泳げるようになるまで


息子がスイミングに通い出したのは小四からで、幼児のちっちゃい子たちに混じってのスタートだった。毎回緊張するなあ、と言いながら不安そうにプールに入っていたのを覚えている。一番前で見学できる場所を確保して毎回じっと練習を見守っていた。あるとき隣のお母さんのもとに、練習を終えた低学年くらいの男の子が「テスト受からんかった」と報告したら、お母さんが劣化の如く怒り、他の保護者がいる前で自分の息子を罵り始め、本人は「ぼくだってがんばってるんだよう・・」とシュンとしていて、その光景が不憫に思えてならなかった。声をかけようか迷ったが、そのお母さんの想いもあるだろうし、やめた。ただ、その子の「ぼくがんばったのに」、の顔が心の中でザラザラと残った。息子が初めての夏の短期教室の四日間コースを受けて、最終日の進級テストが不合格だったとき、めちゃくちゃ荒れまくり、もー辞めてやる!!と大泣きしたのだが、四日間も受けて不合格て、コーチもおまけしてくれたらいいのに、ケチやな、モチベ下がるわ〜と内心思いながら、泳げるようになったらすぐに辞めていいから、それまでは続けなさいと、泣きながら好物のサムライマックを頬張る息子を見つめた。しばらく息子のスイミングのモチベが練習終わりのサムライマックや、ファンタのグレープになった。しばらくして息子は「練習を週一から週二に増やしてほしい」と交渉してきた。進級テストが受けられる短期教室も毎回受けた。とにかく量をこなして、進級し早く辞める作戦に出たのだ。回数が増えて次第に友達ができ始め、泳ぎにも自信がついてきたようだ。クロール、背泳、平泳ぎが終わり、「もういつでも辞めていいよ」と息子に伝えると、「いや、四泳法と個人メドレー合格して一番上のクラスになるまでやる」と高らかに宣言し、途中、バタフライ50メートルのテストを三回連続で落ちて、この世の終わりの如く大撃沈することもあったのだが、なんとか持ち堪えて無事にずっと憧れだった一番の上のクラスに進級し、水泳帽の色も変わった。進級して初のテストでは、4つくらい上の級のタイムをはじき出し、一気に飛び級した。息子は晴れ晴れとした顔で、「三月いっぱいで辞めるわ!」とキリのいい時期で卒業することになった。親心として欲が出て、中学からも週一でも続けてくれたら、水泳帽も新しくなったばかりやのに、、なんて思ってしまうのだが、ここはひとつ、最後までやりきった息子を褒め称えよう。あの声が聞こえる。「ぼくもがんばったのに」あの子は、元気にしてるだろうか。進級したりしなかったり、いろんな道のりがあったけどもう本当に、みんなよくがんばった。












いいなと思ったら応援しよう!

たみい
記事を気に入っていただけたらサポートお願いします。それを元手に町に繰り出し、ネタを血眼で探し、面白い記事に全力投球する所存です。

この記事が参加している募集