富山のために働きたい!商社から県庁にUターン転職しました|神山紘樹さん
6年間三井物産で研鑽を積み、今年4月に富山県へUターンした神山紘樹さん。
どんな想いで富山へ帰ってきたのか?神戸出身の奥さまとの生活は?これから富山でどんな取り組みをしていきたいのか?などなど、Uターンにまつわる様々なお話を聞かせていただきました。
◎嫌で飛び出した富山
ーーまずは「おかえりなさい」!
神山さんが富山に戻ってきてくださってとても嬉しいです。
僕は富山が嫌で富山を飛び出し、東京の大学に進学しました。確かに東京での生活には刺激があって、面白い人も多かったです。けれど、都会に住む人たちの心の余裕のなさを感じたんですよね。
一方、故郷・富山の人は自然への感度が高く、人の温かさを感じられる場所だと気付きました。それに、富山って目立たないけれどポテンシャルが高いんですよね。製造業が強くて、一人あたりのGDPが全国6位(2016年)。外に出てみて初めて富山の良さに気づけたんです。
ーーいつ頃から、富山へのUターンを考えておられたんですか。
就職活動する頃には「いずれ帰って富山に恩返しがしたい」と考えていました。でも、外の世界でしか得られないこともあると思い、民間企業の第一線で5年ほど修行してから帰ることに決めたんです。
就職活動では、商社や広告代理店、コンサル業界をみていました。自社の商品で闘う会社ではなく、「人」の力で動いている会社に勤めて修行したいと考えたからです。
商社には6年間勤めましたが、出資先であるアメリカの企業の事業管理をしたり、AIを活用した営業支援を行ったり、オーストラリアに駐在してIoTのデータベースを活用するDXの取組を推進したり…。幅広い経験を積むことができました。
ーー海外駐在も経験されたんですね!
はい。オーストラリアから帰国したタイミングで、県庁の「UIJターン採用」の枠で応募しました。
ーー職務経験者を対象とした採用ですよね。確か、県外での職務経験が5年以上の方が対象だったかと。
その通りです。筆記試験より面接試験に比重が置かれていました。40歳以下の人が対象の採用なので、30歳前後の方が多く受験しているようでした。
ーー県庁以外に転職先として検討していた民間企業はありますか。
民間企業への転職は一切考えていませんでした。行政の仕事は、僕がやりたいと考えていた「世の中の仕組みを作っていく仕事」だと考えていますし、業界や収入にかかわらず富山県全体を盛り上げる仕事がしたかったというのも理由です。
また、富山県庁には、やる気さえあればどんどん仕事を任せてもらえる風土があると聞き、それも県庁の魅力の一つでした。
ーー神山さんの夢をかなえるために、県庁のお仕事はぴったりだったわけですね。
妻からは、「富山に帰ってきてからより一層富山について語ることが多くなったよね」と言われています。それくらいに、理想の職場です。
◎富山県庁・観光振興室に配属
ーー県庁ではどんなお仕事をされていますか。
観光振興室に配属になりました。現在はまだ県内の観光振興施策について勉強する毎日です。
高校生の時にみていた富山と、今見る富山は全く違いますね。富山のことを真剣に考え、熱い想いを持って活動されている方がこんなにもいるんだ!と驚きましたし、実際に意思決定をして富山を動かしている人たちの近くで働くことができ刺激的です。
また、ここ数年はコロナ禍で大きな観光施策が打てていませんでしたが、ようやくアフターコロナに向けたプロジェクトを動かすことができるようになり、観光振興室全体がイキイキとしています。そんな中で働けるのは嬉しいです。
ーー民間企業と行政の仕事の進め方の違いに戸惑いを感じることはありませんか。
確かに、行政ならではの制約を感じることはありますが、実際に中で仕事してみると、それぞれの業務には必ず理由があるんですよね。ただ、民間で身につけたスキルをうまく富山県庁でも生かしていきたい、とは思っています。
ーーこれまでお仕事で会った方の中で、印象に残っている方はいらっしゃいますか。
たくさんいらっしゃるので一人を選ぶのは難しいのですが…。
株式会社TOYAMATO取締役の中谷幸葉くんは、本当にすごいと思います。同い年で出身大学も一緒ということもあり、刺激をもらっています。富山県に縁もゆかりもなかったにもかかわらず、富山のために全力で動いているので尊敬しています。
ーー僕も取材させてもらいましたが、中谷さんからは富山への愛を感じますよね。
▼中谷幸葉さんのインタビュー記事はこちら
ーーこれから、神山さんが富山でやっていきたいことは何ですか。
「富山のブランド価値を向上させる」ことと、「富山に新しい産業をつくる」ことです。
県外に出た時に、「富山って何があるの?」と聞かれて「何もない…」と自信なさげに答える富山県人が多いように思います。かくいう僕もそうでした。そんな状況を変えたいんです。
そのためには「世界に誇れるものをつくる」「世界に評価される」「県民が認知し、誇りを持つ」の3段階が必要だと思っています。
富山のブランド価値をあげることで、観光振興するだけでなく、県民の誇りを醸成し、対外的な富山の認知を上げていきたいんです。
富山から出ていたた若者が富山のために恩返しをしたいと思ってくれるような、胸を張って富山を自慢できるような場所にしていきたいと思っています。
ーー2つ目の「富山に新しい産業をつくる」とは具体的にどんなことなのでしょうか。
富山は製造業が強いのは事実です。でもこれからは、既存の製造業だけでなく、世界に本当に必要なものを作っていくクリエイティブな発想が必要になっていくと思っています。
ニッチな産業でも、世界に通用するものは作れるはず。世界のどこにあっても発信できる世の中だからこそ、必要なものを作れば世界から必要とされるはずなんです。イメージはAppleやGoogle、Metaなどのあるアメリカのシリコンバレー。世界で評価される富山ブランドを作っていきたいです。
◎富山で真の地産地消を体験
ーーお住まいはどのようにして決めましたか。
妻は当初、地方暮らしをするつもりが全くなかった人なので、富山の中でもできるだけ利便性の高い場所に住むことにしました。
富山駅まで徒歩圏内の賃貸マンションに住んでいます。近くにはスーパーや百貨店、図書館に飲食店などなど、生活に必要な施設は全て揃っています。
ーー平日はどのような生活をしておられますか。
8:00くらいに家を出て、歩いて20分の県庁に出勤します。19:30に帰宅し、妻の作ったごはんを食べたり、総曲輪で妻と外食したり。僕も妻もお酒が好きなので、美味しい居酒屋さんやバーを開拓しています。徒歩圏内にいろんなお店があるのは嬉しいです。
ーーでは、休日は?
富山のあちこちに足を運んでいます。
先日は、南砺(なんと)市五箇山にオープンしたオーベルジュ「Levo(レヴォ)」に行ってきました。「ガストロノミーツーリズム(Gastronomy Tourism)」が楽しめる、真の地産地消を追求したお店です。
レヴォのお料理は本当に素晴らしく、調理法を工夫すればここまで食べ物が美味しくいただけるのか、と驚きました。地元で消費することだけを目的にせず、美味しさを極限まで追求した地産地消は新鮮でした。もともと、富山の食の素材の良さは痛感していましたが、レヴォでガストロノミーツーリズムの真骨頂を体験した、という感じです。妻は、「富山に来てから一番素敵な1日だった」と言ってくれました。
僕が高校生の時にはなかった、富山の魅力をまた一つ発見できましたね。
ーー奥様はどんな方ですか。
オーストラリア駐在中に、神戸出身で当時看護師として留学に来ていた妻に出会いました。付き合う前から、「僕はいずれ富山にUターンする」と伝えていたんです(笑)。
妻は富山には縁もゆかりもなかったんですが、僕の転職のタイミングで入籍し、一緒に富山へ引っ越してきました。現在は、フルリモートワークの会社に転職し、家やコワーキングスペースで仕事をしています。
ーー知り合いが一人もいない富山での生活、困っておられることはないですか?
それはぜひ、妻に聞いてみてください。
妻はもともと、海外か神戸で暮らしていきたいと考えていた人なので、富山移住や富山での暮らしへのリアルな感想を話してくれると思います。
ーーそれでは次回、奥様のインタビューをお届けすることにします(笑)。
本日はありがとうございました!引き続き、富山ライフをお楽しみください!
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「富山に恩返しがしたい」とUターンし、富山県庁で働き始めた神山紘樹さん。その想いや、これから富山でやっていきたいことについて語っていただきました。
次回は、神山さんとともに富山に移住し、縁もゆかりもない富山で生活を始めた友佳さんにお話を伺います。
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最後に富山移住が気になる皆さんへ
富山市中央通りにはインキュベーション施設HATCHという施設があります。
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地方移住や富山への移住について聞きたい方はぜひ!!
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