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福原愛ちゃんの愛着についての仮説

愛ちゃんの男性に関する話題は、愛ちゃんが学生だった頃から事欠かなかった。いわゆる「メンヘラ」っぽいエピソードや、奔放な性遍歴の噂は何度も聞いたことがある。

ところで、子供の頃からこれまで沢山TVメディアに出ていたはずだけれど、愛ちゃんのお父さんの話はほぼ聞いたことがない。愛ちゃんの育児本にも、ごくわずかに、お父さんの言葉が紹介されているくらいである。

お父さんは次々に見出しになりやすそうな言葉を連発してくれました。
「世界のトップに立つには2万5千時間の練習が必要だ」
「愛がピークを迎えるのは、2012年のオリンピックだ。その時愛は……24歳だ。選手として脂が乗り切った時期だね」
言葉があふれてきます。さらに印象的だったのは(母親の)千代さんでした。いまでも覚えているのは、控えめに隅の椅子に座られていたことです。お母さんは娘とご主人の言葉をジッと聞いていたようでした。

「愛は天才じゃない」(生島淳 著 三起商行株式会社 2005) p.183より

これは、愛ちゃんが10代の頃のインタビューの様子である。抜粋した文章から、家族の力関係が感じられるようである。愛ちゃんと同年代で北国からやってきた知り合いの卓球女子も「お父さんは天皇のような存在」だと言っていた。

地方では、家父長制の名残がもしかしたら残っているのではないか。

だとすれば、父に対して畏怖の念を感じても、愛着を感じていなかったとしたら、男性全般に対する愛着にも歪みが生じてもおかしくはない。

また、今では当たり前のように小学生より前から卓球をさせる例が増えてきたが、愛ちゃんがTVデビューした頃は、まだ卓球が今のようにメジャーではなく、非常に珍しかったと記憶している。

そんな特異な環境で多感な時期に育ったことも、愛ちゃんの人格形成に影響があったのではないか。

人間関係は、ある種の権力関係によって成り立つものである、という間違った認識のもとに。

いや、本人がそう思っていたかどうかは分からない。Twitterに載っていた投稿には、少なくとも、旦那さんとの関係性を築いていこうとする様子しかわからないから。

まして、車椅子になった母と2人の子供のケアが重なれば、当然大変だと思うし、それを受け止めながら献身的に取り組んでいたように見える。

だから、なおさら「どうして」と思ってしまう。

この離婚問題は、愛ちゃん自身の愛着に課題があり、結局1人では乗り越えることが出来なかったから起きたのではないか。

もし、そうだとすれば、今からでも「欠けていた」部分を見つめ直して、再び建設的な人間関係を取り戻してほしい。

余計なお世話かも知れないけれど、個人の愛着の課題が、卓球界、スポーツ界、国際社会にも影響しているのだとすれば、尚更そう思う。

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