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「お金をもらいながら働く体験ももらうサラリーマン」と「飯を奢られながら働く体験を探して旅をする奢られヤー」

先日、noteでバズっていたたかーぎ君が「AbemaPrimeでプロ奢られヤーがなんか喋るっぽい」というのを聞きつけて、普段あまり見ないAbemaTVを見ておりました。

という訳でAbemaPrimeを見ておりました。プロ奢られヤーは噂には聞いていたが、一体どんな人なのかと。

司会はふかわりょうさん。J-waveの[Others]という番組で家入一真さんと色んな面白い「他人」を紹介するラジオをやられており、アウトサイダーな方を面白がれる方。あと大学の先輩です。

正直、最初の印象は「なんなんだ、こいつは」という気持ちでしたが、何となく既視感がありました。

それは、大手広告代理店を辞めたあと、知り合いでシェアハウス兼メディア発信をやりながら、生計を立てていた高木新平さんです。

よるヒルズで調べると色々出てくると思います。

超保留宣言—「何したっていい」と言えるための必要最低条件 糸井重里×高木新平 【前篇】シェアハウスから生まれる新しくて古い関係性

会社に所属しない=定期収入を会社からもらわないということは、何らかの形でお恵みを他人からもらわないといけない。

そこで、彼は誰も今までやったことが無いような業態で人を集め、色んな形でお金をもらいながら生活をしていました。(以前イベントに行った時、ビニール袋でお金を集めていましたw)

それは、「飯を奢られながら、どこかの組織に所属せず、世界を流浪する」という奢られヤーの姿とダブるところがあるのです。

なんか、その真似できないロックな感じが。色々攻めてるなあって思います。

一方で、多くの人に、パブリックに認めてもらう為には、スキルの下積み、経験が必要です。雇った側はその投資に見合った、あるいはそれ以上の活躍を期待している。そして、雇ってもらったからにはそれに応えなくてはいけない。自分はそう思います。

そういう点で奢られたら、Giveされたら、何らかの形で誰かにGiveしないと人間的にダメだと自分は思っています。

ただ、「どうしてGiveを返せないんだろう」と思い過ぎてもどうしようも無い時もきっとあるのではないでしょうか。

いつまで経っても、仕事で結果を出せなくて、職場にいるのが辛かったりした時、「俺って、一体何の価値があるんだろう」と思ってしまうかも知れない。

でも、「お金も働く体験もただでおごってもらえるサラリーマンってまじ恵まれてる」という視点に立てば、また見方が違ってくるのではないでしょうか? 実は経験をもらえてラッキーだった〜というか。

それに、その人が「自分の潜在価値」に気づけていないで悩んでいるかも知れないですよね。。生きる意味の無い人はいないと思うのです。

自分は、医療機関に勤めていたので、自分ではほとんど何も出来ない方々に見たり聞いたり触れてきました。それだけで言葉に出来ない色々な思いを感じる時がありました。

ちゃんとスキンシップをしたり、目線を合わせるだけでも、反応が違ったりする。それはその人の「生きている意味」というと語弊があるかも知れないけど、受け取っている何かがあるんです。ある意味では、何かを「奢られてる」ということにもなると思います。

知らない間に誰もが何かをGiveしている、と思った方が生きやすいのかなと思いました。

それを分かりやすい形で「俺はこんな感じの意味を持ってる人、こんなアピールが出来るから、みんな奢ってくれよな!」的な感じで、ライトに、ロックに生きているのが奢られヤーなのかなあと思いました。

というわけで、実験で自分もpolcaで初心者奢られヤーを試してみますよ。

もし、Twitter(700人以上),Facebookの友達(2000人以上)の誰かが、1日3食どこかで飯奢ってくれたら、もう食費を気にしなくていいから、楽ですね笑

お返しとしては、「為になる深夜食堂」とかいうテーマでnoteに連載してみたり、グラフィックレコードをしたり、似顔絵を描いたり、というのが出来ると思います。

宜しくどうぞ。

あと、noteの投げ銭サポートの所のコメントの書き方を知りたい。


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ため画伯/Tami
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