日本は、戦後すぐに卓球だけ国際大会に出させてもらったから、南北コリアも大目に見たら?
南北コリアのチーム結成が大きなニュースになっていますね。
ただ、日本人側のコメントが軒並み荒れている感じがするので、
「まあ一旦落ち着いてお茶でも飲んで観戦しましょう」的にnoteを書きます。
Rallysが始まった最初の頃にこんな記事を書きました。
荻村伊智朗さんは、卓球の選手としても輝かしい活躍をしてきただけでなく、国際舞台においても、スポーツを通じた世界平和の取り組みに大きく貢献された方です。
日本の黄金期に、当時低迷していたスウェーデンの選手の育成を行い、ITTFの会長になってからは、南アフリカなど様々な国々で卓球の競技支援を行ってきました。
また、米中のピンポン外交の影の立役者と言っても過言ではなく、91年の千葉で行われた世界卓球では、初めて「南北コリア」チームの結成に貢献しました。
荻村さんがここまで「卓球を通じた外交」に関心を持つようになったのは、
実は、日本が戦後すぐに卓球だけは国際大会に参加させてもらったからという理由もあるのです。
敗戦国の日本があらゆるスポーツで国際舞台から締め出されるなか、いち早く日本の再加盟に動いたのは国際卓球連盟(ITTF)だった。1926(大正15)年に設立されたITTFには「国歌と国旗は使わない」という他の競技団体にはない憲章があった。世界選手権に参加するのは国ではなく、それぞれの地域にある卓球協会という認識だった。初代会長のイギリス人、アイヴォア・モンターギュは「スポーツで国と国との間にある障壁をとりのぞきたい」と、公言していた。(出典「ピンポンさん」p.85)
戦後の日本は第二次世界大戦の敗戦国として、国際的にも強く批判されてきました。世界の舞台に認めてもらえるような雰囲気では無かったのです。
そんな中で、日本は卓球の国際大会の出場を認めてもらえた。「何故?日本なんか出すなよ」って多分北朝鮮みたいに言われていたかも知れません。ブーイングもあったと言います。
でも、真摯なスポーツマンシップで試合に臨んでいったことで、だんだんと認められていったのです。
また、スウェーデンは荻村さんにとってもゆかりのある土地です。今回の世界卓球の前に日本対スウェーデンのメモリアルマッチも開催されました。
そんな街で再び、「南北コリア」が達成されようとしている、ということは色々な感慨があると思います。
千葉大会の選手が今でも指導者や大会関係者として活躍されているからこそ出来たことだと思いますし、一回経験したことがあるから、異例の事態も認められたのかなと思います。
91年の時は、開催直前まで北朝鮮の側から音沙汰が無く、そもそも統一コリアなんて出来るのかどうかも怪しかった。
いざ結成出来ることになってからは、長野県の合宿所で一緒に練習をして、ある程度選手同士も打ち解けた状態で参加。
「統一コリアとしての参加は面倒見るけど、競技の進行は特に優遇しないよ、フェアにやるからね」というお達しはあったようです。
それは今回と一番違うところで、微妙かなと思うところではあります。
予選の時はバラバラのチームでやっていましたから、前回を知っている人達も「なんじゃそりゃ笑」って言ってましたが、
ただ、必要以上に目くじらを立てなくてもいいんじゃないの?とは思いました。
天気もいいし、外に出かけてビールでも飲もうぜ〜笑