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私が努力する人を応援したい理由
こんにちは。ライフコーチの為近奈央です。
この記事では、プロフィールで語り切れなかったお話をしようと思います。
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子どもの頃の私は、何事に対しても努力する、「超努力家」でした。
勉強は人一倍頑張るし、苦手だったスポーツはできるようになるまで練習し続ける。
負けん気が強く、宿題を忘れたことに気づいたら、夜中でも飛び起きて泣きながらやるような子どもでした。
「できるようになるまで努力する」という自信になり、中学の弁論大会では、「努力をすること」についてスピーチするくらい、努力は私にとってのアイデンティティであり、やらなくてはならないことでした。
それは、高校、大学生になっても変わらず、入試前は1日14時間の猛勉強をしていました。
今振り返ると、恐ろしいくらいに徹底して集中していた自分を思い出します。
私の子どもの頃の信念は
「努力したらできるようになる」
「努力して一番になったら人生がうまくいく」
というものでした。
一方で、「負け」や「できないこと」に対するどうしようもないほどの恐れがありました。
「負けたり、できないというのは恥ずかしいこと。だから努力して、できるようになろう」
できないことを見せるのは、私にとってはこの上ない屈辱でした。
だから必死だったのだと思います。
努力は自分が自分を保つための生存戦略でした。
努力家が努力を辞めた時
そんな私が、努力を恥ずかしいと感じた時期があります。
それが大学生の時です。
当時建築学科にいた私は、自分よりもずっと建築が好きで、建築のことについて詳しく知っている友達がたくさんいました。
高校では、建築に触れたこともなく、5教科7科目(入試で使う科目)を必死に勉強してきた私にとってはどこに学ぶ機会があったのだろうと衝撃的でした。
それでもしばらくは必死に頑張っていましたが、だんだんと
「この人たちには勝てそうにない」と感じるようになりました。
そう思ったあたりから、私の頑張りのベクトルは「効率性」に変わってきたのです。最初から「負け」を感じるレースにはめっぽう弱い自分がいました。
「効率よく、なおかつ出来が良かったら、私はすごい」
「努力を前面に出すなんてダサい」
そう思い込んで、あっさりした顔をしてできる自分でいようとしたのです。
もちろん、「優雅に泳ぐ白鳥も水面下では必死に足をもがいている」というように、自分の中で必死に頑張っていながらも、外から見て「無駄なくこなしている私」でありたかった。
「無駄なくこなしている私」はいつの間にか、多くの頑張りを否定し、「意味があることしかしない私」になっていきました。
失敗することを恐れ、できる確証があるものだけをやるようにしようと考え、取捨選択を繰り返していきました。
その結果、「なんかうまくいかない自分」に苦しんでいたのです。
「やることはやっているのにどうしてうまくいかないんだろう?」
自分では正しい方向に進んでいるはずと思いながらも、どんどん思ったように行かなくなっていく怖さを感じるようになっていました。
メンターに言われたひとことから、努力が大好きな自分を思い出した
ある日のメンターとのセッションの中で
「できないことに対して悔しいと火が付くタイプなんだね」
と言われました。
メンターからのこの一言を聞いて、思わず涙が出てきました。
できないことに対して悔しいと感じていた私。
だからこそ、できるように必死に努力していた私。
子どもの頃に大切にしていた想いをいつしか忘れ去っていたことに気づいたのです。
忘れ去っていたというよりは、「こんなもんダサい」と受け入れていなかったのかもしれません。
私は、頑張って根気よく物事をやるのが好きなんだと思います。
一方で、必死に努力している姿が周囲の人にどう見られるかを意識し過ぎた結果、努力している自分を見せつけているような感じがして、努力がダサいと感じるようになっていきました。
このようにして自分の積み重ねてきた努力を否定し、子どもの頃の自分と比較して「自分は全然できていない」と感じていたのです。
努力を全否定して、「無駄」を省いた結果、「楽しみながら努力すること」を私は過去に置いて来てしまったのでした。
そんな自分を感じて、心が癒されてきました。
私がしたい「努力」を続けるために
この気持ちを感じて、私は、自分にとっての努力の存在を改めて認識しました。
私にとっての努力は「自分の人生を楽しむための力強い相棒」。
努力を重ねることで結果を出し、いろんなご縁に恵まれて、今に至ります。
効率よく、さらっとこなす人はかっこよく見えるけれど、私は、やっぱり粘り強く努力している自分も好きだったことに気づきました。
私の周りにも努力している人はたくさんいて、その人達からにじみ出る努力の跡は本当に素敵に輝いているように感じます。
だからこそ努力してきた人には、努力の価値を信じて、これからも自分の目標や夢に向かい続けていってほしい。
そのために私は、今を必死で頑張っている人を全力で応援したいし、力になりたいと思っています。
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