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本当はやらなきゃいけないことなんて無いのに。


「やらなきゃいけないことがあるんです」

「〇〇しなくちゃいけないんです」


クライアントさんから口癖のようによく出てくる言葉。


私もコーチングに出会ったときは本当に

「全部しなくちゃいけないんからしているんです!」

くらいの感覚で生きていたのでこうつい出てきちゃう気持ちが重なります。


でも、それを経験しているからこそ伝えたいことがあります。

「しなくちゃいけないことなんて本当はありません」

しなければならないと「敢えて」思っているのです。


そのほうが楽だから。

そのほうが丸く収まるから。

自分が我慢すればそれでいい。


でも、そうした我慢が誰かの妥協を生み、「みんなが我慢しないといけない世の中」をつくってしまっているのだと私は思います。

本当はやりたいことをやっていくと、みんな適材適所に置かれる社会ができるのでは、と思っています。



私の「〇〇しなきゃ時代」の話をしようと思います。

とはいえ、そんな大昔ではなく、2年くらい前までのことです。


当時のコーチとのやり取りを振り返ると、ここにも。


なにか成果を出して、コーチに報告しなければ!

成果を出さないと!

こんなんじゃダメだ!もっと努力しないと!

改めて読み返すと、こんな思いで一生懸命シェアしていた自分を思い出します。それによって成長した自分ももちろんいますが、この文面だけ見ていると息が詰まりそうです(笑)


こんな考え方ばかりなので、もちろん家でもそうしていました。

(私は旦那より仕事をしていないから)家事はちゃんとやらないと。

できなかったら、あ~ダメだ。


フリーになったらなったで、

(コーチとして)発信をしないと。

(定期的に更新しないと売れないから)定期的に発信しないと。



私の頭の中、こんなことでいっぱいでした。


そりゃ、楽しいわけがない。

人生なんてやらなきゃいけないことばかりだ!

こう思っている人の頭の中ってこんな感じでいつも騒がしいように思います。


そんな中で考えが豊かになるだろうか。

感覚を開いていくことができるだろうか。


少なくとも当時の私はそうした視点さえも持っていなかった。

その私が、今はしなきゃいけないことがほとんどない環境で生きています。しなきゃいけないと思うことはあるけれど、本当はしなくて良いことに気づけます。

だから、好きなことがかなりできています。


そんな「しなきゃ」を今日はテーマにしました。

「しなきゃ」は今すぐやめよう!なんてよく見かけるかもしれませんが、それがどういうことなのか、一緒にじっくりと考えていきましょう。


「しなきゃいけないこと」を徹底的に見直す

私が見直すきっかけになったのは、多分コーチングを学んだことがきっかけです。

「~しなきゃ」という語尾は外側からやらされている感じでは無いですか

確かにそうだ。でも、どうしたら良いかなんて、わかりませんでした。

とりあえず、「〇〇しなきゃ」と言わないようにしました。

しなきゃと思っていることをしなきゃと言わないように。



でも、本心では「しなきゃ」と思っているのであんまり意味がありません。

それなのに言葉では言わないようにと必死になっていました。

もちろん言葉の使い方で変わることもあるとは思います。でも本来見つめるべきは「実際に「しなきゃ」と思っているものにどんなものがあるのかを知ること」です。


本当にご飯を作らなきゃいけないのか?
本当に家事をしなきゃいけないのか?
本当にブログは毎日更新しなきゃいけないのか?

こうしたものに向き合ってみる。

「やらなきゃいけない」と思っているときは、正直、それ以外の選択肢が全く見えていない。でも、本当にそうなの?って考えてみると、やってない人もいっぱいいるし、やらない罪悪感は自ら生み出しているものだなぁと思ったのです。


うちの家庭の場合は、私が忙しい、暇に関係なく、旦那がある程度家事をしてくれるのですが、それに罪悪感を抱くことが多々。

それもあってやらなきゃと焦っている。


でも、自分以外の人がどう行動しようと、やらなきゃと決めているのは自分なのです。そして、やらなきゃいけないルールは誰かの言葉だったり、一般的にこうだろうという思い込みからきていたりするわけです。



旦那に聞いてみると、

「別に僕がやっているからと言って、自分がやらなくてはと思う必要はなくない?確かに自分も全部やらなきゃと思うと辛いけど、そうじゃなくてなんとなくやっているんだよね~」とあっさり。


あれ、と思いました。

うちの旦那は義務感と言うよりも、やろっかな~くらいの気持ちでやっていたみたい。

こんなやらなきゃいけないことをたくさん押し付けてしまって、、、と思っているのは、私の勝手な思い込みだったのだと気づきました。



こう言っていると、珍しい家庭だと思われるかもしれませんね。


普通の家庭だと奥さんがやるものという雰囲気が漂っていて、なんとなく家事をしなきゃという雰囲気に追われていたり。

だけれど、この普通もイレギュラーも、私が頭でなんとなくイメージしているルールなのかもしれません。

(よくよく見てみると、旦那さんが家事をよくやっている家庭、自分の周りを見ていてもぱっと記憶をたどって6件くらいはいるなぁと気づきました。)




こうした自分の思い込みから、こうあるべき、こうしようと思っていることは多いのだと思います。

でも、いずれのパターンにしてもそうしなければいけないと誰が決めたのか。

人に言われたから、やらなければいけないと思っているのだとしたら、そもそもそう強いられている環境をそのものを含めて、見直す必要があるかもしれません。


なぜなら、その「しなきゃ」をやる時間は、「あなたの大事な人生の一部」だから。



あなたの一度しかない人生をどう使いますか?


いつも思うのです。


もし、誰かが自分の思い通りにできるのなら、そうして都合の良いように使っているような人も時にはいるかもしれない。


でも、そうして誰かに舵を明け渡した人生を送っていていいのか。

もちろんそれで良いと思う人もいて、そうだとすればそれでその人は幸せだと思います。


ただ、私みたいに「自由に生きて、自分の好きなこともしたいなぁ」と思っている人にとっては、それは嫌なのです。



私の人生は有限です。

いつか終わってしまう、その時に、「やらなきゃいけないことに追われてしまった」というのか。

それとも「自分の使いたいように使えたな」と思うのか。




限りある時間、お金と同様にあなたの使えるものだから、自分の使いたいように使える割合が多いほど、人生は充実するのではないかな、と思います。



だから、しなきゃと思っていることを減らしていきました。

頑張ってやらなきゃと思っている家事は減らす。

しなきゃと言う機会も減って、自分の選択肢が豊かになってきました。


あなたの一度しかない人生を、今しか過ごせない時間を、やらなきゃいけないことで費やすのも費やさないのも本当は自由。


もし、本当は自分の自由に生きたいけれど、そんな人は周りにいないのであれば、そうした環境をそのものを見直したほうが良いのかもしれません。


私もここ2年自分の周りにいる人がだいぶ変わりました。

暮らしも、自分の良しとする基準も、ちょっとずつでも確実に変わって今に至ります。


それによって、これまで「しなきゃ」と思っていたことが「してもいい」に変わって、取り組みやすくなることもありました。

本当に負担になるようなことは、誰かにお願いしてみたり、やらなくてもいい方法を考える。


そうやって自分の負担を軽くしてきました。





あなたの「しなきゃ」が多ければ多いほど、あなたの生活の変化の代はきっと大きい。


そして、そのしなきゃいけないことは、自分の持っている時間やエネルギーの使い方を選んでいくことで減らしていくことができます。


自分のリソースを自分の良いように使うことこそ、自分を大事にすることなのではないかな~と私は思っています。



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